2021/01/13
今朝の雪道での事です。甘屋の円城寺の参道が除雪してありました。「ほっ。円城寺の参道が除雪してあるな。」と、夫は感心しました。すかさず私は、「そうですよ。日本人は、神社、仏閣を大切にすれば、その国は繁栄しますよ。」と、すると、夫は、「そうかいなぁ。昭和から平成になって、神社や仏閣は、消滅して行ったいなぁ。」そう言えば、明治生まれの偉い坊さんが言って居たなぁ。「僧侶の一番大事な仕事は、徒弟を作ることだと。」「そうだいなぁ。」そこで、私は思い出しました。我が家の明治生まれの大祖母は、我が夫の僧侶が、40歳と言う若さで逝去したのです。その時、生まれていたのが姑(夫の母親)で、11歳でした。お里からは帰ってこいと、言われていましたが、きっぱり断って、今の瑞応寺に残ったのです。男の子を養子に貰い、その子を僧侶にし、姑と、一緒にさせて、女の子と、男の子が誕生しました。しかし、養子にし僧侶にした男子は、戦争に行き、戦死してしまいました。まさに、夫は、「忘れ形見」でした。しかし、男子の僧侶が欠員ですので、九州から、高階隴仙禅師(当時、曹洞宗管長)の肝いりで、当時可睡斎という静岡のお寺で、(徳川家康が名付けたお寺)修行中だった、僧侶を、寺院を助けるのも、「仏作仏行だ。」と、瑞応寺に入ってもらった。そして、夫は、成人し、跡取りが出来るようになり、私が嫁として嫁ぐことになったのでした。私は、その事は、何も知らずの、無知と言うか、天真爛漫な人でした。その嫁ぐときに、母親や祖母達は、お寺に嫁ぐことは、ご先祖様七代まで救われることになると、有難がっておりました。 私はこのコロナ禍で、様々な事が「明々白々(めいめいはくはく)」非常にはっきりと見えるようになった。はっきりと疑わしきこともなく見えるようです。
だから、今朝の甘屋の円城寺も大切にしているところを見ると、ここ大田市はやっぱり栄えるはずです。未来は明るいですね。
甘屋の円城寺は、とんと昔、中世室町までは、隆盛を極めた天台宗の元締め的なお寺だった。戦国の動乱で、毛利尼子の銀山争奪戦で、全山が灰になった。「夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉」の句がでます。
うふふ。時代は、確かに、続いていますね。 今をどう生きるかですね。