「老いの重荷は神の賜物」樹木希林さんの本を読み返して。

2020/12/16

お早うございます。昨夜の事です。深夜に目が醒めてしまい、とうとう、樹木希林さんの本を読んでしまいました。もう、既に読んでしまっていたのですが、というのは、実は、亭主が昨年の夏に手術した後からは、亭主は居間の隣の部屋で寝るようになり、私は二階の今まで通りに寝ることにしました。要するに、別々に寝ることになったのです。手術後でしたので、トイレも近いですし、階段もなくスムーズに移動が出来るということで、となると、もう1年と5ケ月、別々に寝ているわけです。こうやって別々に寝てみると、案外と気ままに自分自身の時間をより大切に過ごすことが可能となったようです。亭主の方も、ストマ―から、肛門に便が出るようになりました。すると、肛門括約筋の関係か、大腸の働きによって、便がなかなか安定せずに、軟便だったり、なかなか大変なようです。だから、夜中に何度もトイレに行くことになり、思うように寝られぬ事もあるようです。亭主には申し訳ないですが、私は、その分、二階でゆっくりと、休めます。だから、今朝のような事が発生します。私はベットの周りに、詠みたい本をいっぱい置いておきます。

目が醒めた時には、本を読みます。今日の本も、捲ってみると、気に入った箇所には、線を引いたり、書き込みしたりしています。私は、自分の本ですので、好き勝手させてもらっています。老いの重荷は神の賜物の中にも、「なるほどなぁ」と、思う所がいっぱい出てきます。樹木希林さんって、凄いなぁと、関心してしまいます。だってね。民族学者、国文学者の折口信夫(おりぐちしのぶ)さんの言葉が載っています。「古代の日本人が仏教という寛容な人類教を知ったことは、ひとつの幸いであった。」「しかし、そのために日本人はついに自分たち固有の神を心底から苦しんで生み深める営みを怠ってしまった。残念だ」樹木希林さんは、後半の疑問の所を、「自分のこれからの課題にしょうと思った」と、述べておられます。凄いなぁと、思いました。そして、フランスのポール・クローデルという元・駐日大使が言った言葉が載っていました。「もし人類が滅びる時が来た時に、たったひとつ、どうしても残してもらいたい人類があるとすれば、それは日本人だ。」と。(1868~1955)渋沢栄一らと日仏会館を発足、文化交流にも貢献。なんか、凄い事だなぁと思いませんか。外国の方ですよ。私は、このコロナ禍の中で、こうして読み返してみると、改めて日本人の寛容さ精神性の高さ、高邁な人格、品格は、古代から続いていると思うと、有難く崇高なものに感じます。仏教が聖徳太子の時代に日本に入ってきて、それを中心にした物の考え方があることによって、日本人は凄く美しいものになったような気がしますと、樹木希林は、述べておられる。

私は、ここ島根に暮らし、「出雲神話」のおひざ元で暮らしています。「古事記」「出雲神話」から、ひも解く、「国譲りの巻」は、もしかして、日本人の原点なのかもしれない。