2020/09/02
日めくりを、めくると、1日の昨日の日めくりに、「美しい笑いは、家の中の太陽である」と。すると、出てきます。9月1日の日は、『防災の日・関東大震災記念日・茨城鹿島神宮神幸祭・越中八尾おわら風の盆・一粒万倍日』うふふ。凄いですね。そう思うと、こうして、暦は、一日一日捲って行き、一年が終わります。その一日一日には、全部、意味があるのですよね。一粒万倍日などは、最初は一粒の小さな籾であっても、成長すると万倍にも実る見事な稲穂になるということです。最初は小さなものであっても、そのうち何倍にも大きくなるという意味が込められています。その日は、仕事始め・開店・開業・種まき・銀行口座開設・宝くじの購入・お金を出す(出資)・結婚・など、新しい事をはじめるのに良い日と言われています。
関東大震災は、1923年(大正12)9月1日11時58分32秒ごろ発生した。震度6だった。だから、この日が、「防災の日」となった。
茨城鹿島神宮神幸祭もあります。実はこの鹿島神宮は、高天原の地と言われ、「日高見国」太陽が昇るところを見る国とされ、奈良の大和かと言われていましたが、どうも、鹿島神宮のあたりであったと。江戸時代まで、天皇家と関係する神宮は三つしかなかったことが分かります。「大神宮(伊勢神宮内宮)」「鹿島神宮」茨城県鹿嶋市、「香取神宮」千葉県香取市。三つの内、「伊勢神宮」よりも、古い昔に創建されていることが明らかになっています。となると、「日高見国」があった場所であり、天皇家の故郷、すなわち高天原があったことになります。だから、日本の歴史は関東から始まったことになります。そして、「越中八尾おわら風の盆」も、9月1日~3日まで、八尾の町を幽玄の世界へと、男踊りと女踊りが繰り広げられる。
日本という国は、やっぱり、こうして、長い皇統がずっとずっと続き、その地方地方で、様々な先人達の伝統が引き継がれ、皆と和して生きてきた「証」がある。それを、現代に生きている我々は、その先人達が生きてきた「証」を、見過ごしている人があまりにも多くなったのではないか。それは、何故なのだろう。先人達に、感謝する人々が少なくなったのだろうか。「ありがとう。ありがとう。」と、言う人が居なくなったのだろうか。その昔は、明治生まれのお爺さん、お婆さんは、朝に、お仏壇でお経を唱え、夕は夕でお仏壇でお経を唱えていた。朝陽が昇ると、朝日に向かって、合掌し、夕陽が沈むころには、夕陽に合掌していた。子どもだった頃、お婆さんお爺さんを会いに行くと、必ず、「ようきた。ようきた。」と、手を合わせて合掌していた。そして、「あぁ。有難い事だ。」と、手を合わせていた。私も、すっかり、先代達の年代に差し掛かって、気づかせてもらった。
「生きているだけで、立派です」という意味も、「ありがとう。」は、魔法の言葉の、その意味が理解できるようになった。
となると、最近気づくことは、「不足」「不満」「言い訳」「相手ばかりを責める」「文句ばかり言う」「反抗」「怒り」は、どれ一つとっても、碌なことはない、マイナス発言です。ということに気づいた。まるで、「ありがとう」の反対なのだ。
だから、マイナス発言する人には、近づかない方がいいわけだ。しかし、自分はマイナス発言をしているな。と、気づく人は、救われる。マイナス発言をして、「幸せに」なる事は、絶対にないからだ。いち早く気づいた方が、自分の為には、一番いいはずだ。
それは、マイナス発言する人は、自己肯定感がないからだ。自己肯定感のない人は、自分が嫌いだからだ。だから、この人間さんは、絶対の自己肯定感があれば、自分を愛することが出来れば、自分が好きになって、いつも笑顔でいられる。自分が好きでない人は、先ず、嘘でもいいから、笑顔になって、鏡を見ることをお勧めしたい。「笑う門には福来り」となり、何だ。「ようこそ。自分さん。よく頑張った人生だったね。」と、自分を褒めることが出来るはずだ。そこで、初めて、自我同一性、アイデンティティが確立し、自分は自分でいいんだと、納得するはずだ。誰にも侵されない、かけがえのない自分に気づくはずだ。そして、その時、両親に大いなる感謝が生まれる。そして、「この世に生まれて良かった。生きててよかった。」と、大いなる感謝が生まれるはずだ。まだ、生まれないのなら、何かが胸の中に、引っかかっているはずだ。ほんの小さなことでも、心の中には、沢山の事が蓄積されているからだ。消されない厭なこともみんなみんな、蓄積されているからだ。やっぱり、人間って、素晴らしい。うふふ。気づいてね。