無知の知を知る。自分がまだ無知であることを自覚できない、まだ知らないのに知っているような勘違いをする。

2020/08/24

そうなんです。同じ知らないでも、自分が知らないと自覚している分だけ、優れていることになる。日本でのことわざに、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』~知らないことを人に聞くのは、その時は恥ずかしいと思っても、聞かなければ一生知らぬまま過ごすことになるので、その方が恥ずかしい。知らないことを恥ずかしがったり知ったかぶりをせずに、素直に聞いて学ぶことですね。

『知るは一時の恥、知らぬは一生の恥」私は、子供のころから、好奇心が旺盛でしたし、「百聞は一見に如かず」でしたので、本物志向が強かったですね。人のお話を聞くのも大好きでしたので、もっともっと聞きたいと思う時には、たいがい、質問をしていました。

不思議ですね。私の母親も、あっちこっちの法要に出かけては、メモ用紙を持っていき、「ふむふむ」と、メモしていたようです。

その事を、私に、「あなたのお母さんは、いつも法要の説教の時、メモ用紙に書いておられたよ。」実は、あなたのお母さんは、僕が小学校の5年生の時の先生だったんだよ。我が家の法要の時も、何度か導師をしてもらい説教をしてもらっていました。不思議ですね。私も、何でも、いいお話だなぁと、思うと、メモりたくなるのです。

今日も、朝の朝礼の時に、職員が22日土曜日に亀の子工房で人権学習をした事を話してくれました。その日は隣保館の方が来てくださり、「紙芝居のご馳走さま」をしてくださったそうです。職員は、実は家に帰り、大田市立図書館で借りてきた本をみたら、偶然にも紙芝居の「ごちそう様」が何故作られたのか、そのエピソードが書いてあったとのことです。今日は、その「本」を持ってきて、読んでくれました。「ごちそう様」の意味です。そうなんですね。「事実は小説より奇なり」なんてね。その事実というのは、食肉センターで働いていた人が、牛の解体をしている人でした。その時に、大きな牛が食肉センターに売られてきました。その時のお爺さんは、「宜しくお願いします」と。すると、その牛を可愛がっていた子供が、「お爺さん、売らないで。」泣いています。お爺さんは、「そうか。そうか。可愛がっていたからな。でも、お前さんも、学校へ行きたいだろう。それには、「お金」が要るからな。この牛を売って、お金にするんだよ。」。食肉センターの人は、その子どもの姿を見て、かわいそうになりました。次の日に、その牛を解体する仕事が、入っていましたが、休むことにしました。その話を、家に帰り、自分の子供に話しました。すると、子どもは、その話を聞き、「お父さん、明日は、仕事に行ってね。」と、言いました。でも、休むつもりでしたが、子どもが出かける時に、「お父さん、お仕事に行ってね。」と、念押ししました。お父さんは、渋々出かけました。そして、その牛を、解体することになりました。その牛は、最後に、大きな目から、涙が落ちました。そこで、お父さんは、「気づきました。」そうか。「食べ物」は、全部、魚にしても、肉にしても、野菜にしても、お米にしても、人間は、殺傷して、「いただいているんだ」。だから、みんな、みんな、食事の時は、手を合わせて「ごちそう様です。いただきます。」と、言うんだ。 このことを聞いた私は、朝礼の時、皆様は「ごちそう様です。いただきます。」と、言いますか、と聞きました。すると、皆さんは、「はぁい。」と、答えてくれましたが、実は、お昼の時の食堂では、実は、「ごちそうさまです。いただきます。」と、聞いたことがないのです。