山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」今の季節です。

2020/05/25

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すずし)かりけり 」道元禅師なのですよ。 そうなんです。私の大好きな歌なのです。うふふ。「日本の面目」という題で、川端康成のノーベル文学賞記念講演でも、取り上げられた歌なのです。その、ほととぎすが、鳴き始めたのです。「テッペンカケタカ 」「トウキョウトッキョキョク 」なんて素敵な事でしょう。私たち日本人は、自然が魅せる四季の移ろいは美しいですし、過ぎゆく時間はいとおしい。日本人の琴線にふれるのはそういう変わりゆく美しさ、愛おしさ、もののあわれの感覚で、それは元々私たちの中に備わっている。私たち日本人の感性は、この時空を超えた自然と人間が溶け込んだ悟りの境地のつながりなのだと感心する。私は、特にこの21世紀には、日本人が率先して発信していく時代の到来だと言える。今回の新型コロナウイルス感染は、自然界の冒涜(ぼうとく)なのではないだろうか、人は「万物の霊長である」と、自称している。どうも、今回の事で、自然界は、「NO ! 」と、きっぱり否定したのだろう。人は、自然界の一部であり続けているのが本来の姿だ。いち早く、その事が理解できるのは、もしかして、我が国の日本人だけかも知れない。我が国は、遥か昔から、八百万の神々を敬い、自然界に、生かされている日本人を昔から受け継いできた。 今の時代は、本当は、もう、地球規模で限界の所に来ていたのかもしれない。

地球規模で、自然界は破壊され、壊されてきた、その昔は、自然界が自己復元力を発揮していたが、もう、今は限界の域にある。人間は己の欲得のために環境を破壊してしまった。「天に唾を吐いたと同じだ。」あぁ。愚かな傲慢な人類よ。「恥を知れ !! 」と、天からの戒めかも。 さぁ。さぁ。日本人は、地球環境を整えるためにも、地球を守るためにも、日本人の、自然界に対する、世界基準の面目として、どう、バランスを取っていくのか、いよいよ、日本人の「和を以て貴しとなす」の発信をしていく使命があるのかもしれない。それには、昔から言っていた「井の中の蛙大海を知らず」ではなく、地球規模で、大局から見る姿勢が必要だ。

「李下(りか)に冠(かんむり)を正(ただ)さず」イコール「爪田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず」

◎実がなっているスモモの木の下で冠を直さない。実を取ろうとしていると思われるからだ。

◎ また、ウリの畑で、しゃがんで履物をはきなおすこともしない。ウリを盗むと思われるからだ。

◎君子に疑われるようなことは未然に防ぐものだ。

でしょう。しかしながら、我が国は、検察官の黒川氏、自ら辞職願を出されました。どうも、国家公務員法には、「賭け麻雀は賭博罪」と、明記してあるというのに、やれやれです。一体、我が国は、身内に甘く、国民には辛く。なんてことでしょう。どうして、そんな国になってしまったのでしょう。悲しいかやです。しっかりしてくださいよ。と、言いたくなる。