2020/05/13
この季節になると、必ず春の歌が飛び出します。みかんの花が♬咲いている♬思い出の道 丘の道 はるかに見える青い海♪ お船が遠くかすんでる♪ 私が子供だった頃に、いつも歌っていました。戦後の昭和の時代でしたね。私には二つ下の妹がいましたので、いつも小学校の頃は、妹を連れて、遊んでいましたね。同い年の幼友達と、お人形さん(あの頃は、市松人形をかかえて)遊びをしたくて、妹には黙って、裏口から抜け出して、裏山のお墓を通って、山越えして、幼友達の家に行きました。すると、妹は、私がいつも通る道を走って、私よりも先に着いていました。もう。びっくりでしたね。だから、何処へ行くにしても、妹がくっついていましたね。
あの頃は、今のように、既製品の洋服がなくて、母は、いつも妹用の生地と、私用の生地を買ってきて、可愛い洋服を作ってもらっていました。時には、お揃いの洋服作ってもらっていました。可愛いワンピースも作ってもらい、大喜びをしていましたね。
1年に一回は、必ず、家族旅行をしていましたね。その時に、そのお揃いのワンピースを着て、出かけていました。その旅行も、ご近所の子供たちも、一緒に行っていました。 昭和30年~昭和40年頃のことです。時代は高度成長の時代でしたね。うふふ。高速道路もない、新幹線もない、コンビニもない、でも、とっても、長閑なゆったりとした時代でしたね。多分、この時に、人間の土台をしっかり形成されてきたのでしょうね。そんな、時代に、「みかんの花咲く丘」とか「緑のそよ風」をたっぷりと歌ってきましたね。
うふふ。こうして、歳を重ねて、おばぁちゃんになっても、こうして、この歌が歌えるなんて、とても幸せな事だなぁと、つくづく思うのですよ。
ここ大田市も、目の前に、山陰高速が出来るのですよ。9号線がすでに走っています。町中にコンビニは、有ります。この亀の子は、私の子供の頃は、お里の「河原の田んぼ」だったのです。私の子供だった頃の風景とは、全く違っています。それを思うと、「あぁ。歴史を紡いでいるなぁ」と、実感できます。うふふ。世のため人のために、私は、ちょっとでも貢献できているのかなち、嬉しくなります。