2025/12/04
監修 曹洞宗大本山・前永平寺貫首・秦慧玉禅師・日めくりなのです。1日~31日です。
実は、私は息子からのプレゼントを、毎日毎日、長年、捲り捲っていることになる。もう。茶色に変色してしまった。1日は、「諸行無常、諸法無我」~「ひき寄せてむすべば柴の庵なり 解くればもとの野原なりけり」とある。2日は、「人生の目的」です。私はいつもいつも、この2日の「人生の目的」をめくると、いつも立ち止まります。あぁ。本当だなぁと、もう、何十年もなのです。それでも、いつもいつも、「本当だなぁ」と、
初心に戻ります。もう、30年にもなるのでしょうか。本当に摩訶不思議です。毎日毎日がいかに大切か、いつも新鮮な気持ちにさせて貰えるのです。さぁ。書いてみよう。
『人は何のために生まれて来たのでしょうか。これは一番大切な問題であるのに、案外はっきりと自覚している人が少ないのです。私達は、大自然からこの世へ楽しませて貰うために生まれさせて頂いているのです。
一番多く幸福を感を味わって苦を最少限に一生を終わる人が成功者です。それは、他人に迷惑をかけぬことと、他人の為に尽くさせて頂くことで得られます。他人の為に役に立つこと(慈悲)だけが、自分を生かせる幸福のもといであり、一番立派な幸福であり、間違いのない幸福そのものなのです。一番大きく多く他人の役に立ち、他人を喜ばせ得る人が一番幸福な人です。お金や名誉などはそれについてくる属物(煩悩)にすぎないのです。しっかり勉強し、倹約もして、健康を守り、修養もするのは、より多くの人に害なく効率的に、最大限に喜んで貰える能力を養うためであり、即ち自分の幸福をきずく基なのです。たとえば、身体の不自由な人でも、他人の為に有るだけの能力を発揮して喜んでもらえることを考えましょう。
「人の一生は、お天道様と握り飯を負うて、風光明媚な処に遊ぶが如し、人に喜んでもらうこと(慈悲)を以てのみ己を生かす道と知るべし」釈円
30年も捲っているのに、なかなか、身につかない私なのです。うふふ。まだまだ、修行が足りぬようです。
それでも、めくって、こうして、気づくことも大切だと思っています。合掌