2020/05/05
亀の子では、亀の子工房・ふぁみりーわーく・遊亀館を利用しているメンバーさんは、4日と5日は、利用しています。メンバーは、どうも長いお休みは苦手なようです。私が、1995年(平成7)、もう、25年前なのですが、やっと、長い閉鎖的な環境空間であった、精神病院という環境から、地域社会に飛び出したメンバーは、実に元気であった。あぁ。「僕たちは自由だぞ。」と、元気いっぱいで、大型連休に入ると、あっちこっち、飛び回っていた。親戚を頼って、東京、大阪、京都へと、楽しんでいた。中には、その親戚に、友達まで便乗して楽しんでいた。だから、私は、何処へ行かなくても、沢山のメンバーからお土産を頂いた。私は、それが、嬉しくて、あぁ。やっと、ごく当たり前の生活を実現させ、さらに、より豊かな生活を手に入れることが可能になったと、嬉しくなったものでした。そんな彼や彼女達は、高齢期に入り、他の疾患も併発し、心疾患や、胃がん、肝臓がんを罹患し、ステージ4にて、と余命幾ばくもなく、とうとう、「さよなら」と、亡くなっていった。「生・老・病・死」は、天地の道理であり、この世は諸行無常の世の中であることは、百も承知なのに、しかし、私は、そんな沢山のメンバーの生き様を見て、人として、多くの事を学ばせていただいたのである。私の「宝物」のように、彼や彼女達の面影が、いつも、私の廻りにいるようで、有難いなぁと、感じることができます。
しかし、今のメンバー達は、何なのだろう。何かが足りない。主体性がないのだろうか。選り好みをする。失敗をしたくない。勇気がたりない。返事はいいのだけど、実際はしない。まるで他人ごと。責任をとりたくない。注意されると、叱られたと、勘違いする。何なのだろう。 そんな、最近のメンバー達は、どうして、そんなになったのだろうと、私は考えてしまう。そこで、私は、多くの事に気づき始めた。教育だと、そして、家庭教育も、今の子供たちは、多くは、核家族の中で、育てられてきた。「三つ子の魂百まで」と、言ってきたが、果たして、今の子供たちは、どうなんだろうか。
武漢コロナウイルスで、世界は、大混乱の時を迎えている。緊急事態宣言が発令され、「三密」にて、学校は閉鎖され、子どもたちは家の中で暮らしている。狭い家の中で、子どもたちは疲弊しきっている。親子の関係性も、疲労困憊しているようだ。
もしかして、親子の関係性が、もう少し、根っこの部分で、「絶対の愛の保障」を、紡いでいく時なのかもしれない。とっても、大切な時のような気がしてならない。 もともと、人間として、「根っこ」の部分がきちんと形成されていれば、どんな困難な時も、人間は乗り越えられ力を持っているものだと、確信しているからである。
人間は、「根っこ」の自分を、しっかり持っていれば、何事にも畏れることなかれだ。それを、命の尊厳というのだろう。
ついこの間、某彼女が、「私は馬鹿だけ」と、私に告げたのです。私はとても悲しかった。私は、「自分の命の尊厳まで傷つけないでね。」と、伝えた。分ってくれたら嬉しいのだけど。いつか必ず分かって欲しい。祈るばかりです。