2025/10/01
つい、先日、東京の「グラナダ」から、イタリアのお皿や、チュニジアのチュニスの少女の風呂敷と、スカーフが送ってきました。風呂敷と、スカーフは、父上が書かれて染色なさったものだったのです。私は実は、父上のその風呂敷を何枚か持っているのですが、その父上は、1948年(昭和43)頃に、ヨーロッパ地中海辺りを旅に出ておられるのです。そして、そこでの出会いや、異国情緒を存分に堪能されておられ、その表現として、風呂敷を作成されているのです。驚くのは中国の敦煌にも行かれ、その千体仏像も、絵に描いて、染色されています。実は、私にとってそれは、私の「宝物」でもありますので、私の寝室にいつも置いている物なのです。私は、そんな作品をいつも身近に置いていますので、いつもいつも、幸せないい夢を見るのです。なので、今回も、その贈り物を見て、またまた、「胸キュン」したのです。イタリアのお皿も素敵でしたので、早速に絵に描いてみました。そして、お礼にと、絵葉書に書いたので、お礼をしたためたところです。実は、その方の父上の「書物」を手元にいつも置いているのです。その「書物」の中には、「芸術は魂の食べ物」という言葉をいつも父上が唱えられていたのです。私はその言葉がいつも私の心を揺さぶっていたのです。日本人って、やっぱり、いいなぁと、思いましたね。芸術は、魂の食べ物なんて、言われると、私なんぞは、やっぱりそうだったなぁと、合点するのです。実は私の魂が喜ぶのは、中宮寺の弥勒菩薩と、フェルメールの真珠の首飾りの少女と、レオナルドダヴィンチの微笑みなのです。だから、心が乱れた時は、この「微笑み」を見ると、心が穏やかになるのです。不思議でしょう。
あぁ。だから、「芸術は、魂の食べ物」は、私にとっては、本当なのです。そして、それは日本人だからだと思います。言葉は「言霊」だからです。私はなるほどなぁと、思います。不平不満ばかり口に出している人は、魂、要は心が、不平不満で真っ黒になってしまうのです。だから、ワクワクしたりして、「胸キュン」にはならないのです。だから、いつも、イライラしている人や文句を言っている人は、「怒り」が発散するので、「鬼」の顔になったりします。すると、人も近寄りたくなくなります。特に日本人は、「顔」に出てしまいます。
言葉には神さまがやどります。皆さんも気をつけて下さいね。