武漢コロナウイルスで、自粛生活が続き、どう気持ちを保つのか。

2020/04/23

私は「禅の友」5月号を読んでみました。「いま伝えたいこと」楢崎通阿元老師(ならさきつうげん)実は、我が家と同じ、瑞應寺なのです。愛媛県新居浜市別子山の麓にある由緒あるお寺なのです。今の現代人が、忘れている「いのち」の在り方が、書かれてありました。私達のこのいのちは「生死(しょうじ)は、ほとけのおん命」であり「ただいまばかりわがいのち存する」かけがえのない「おんいのち」を生きていることに気がつかなければ「道」を歩むことは出来ません。「おんいのち」は、この自分がどのようにして生まれてきたのか考えてみると分かります。私たち一人一人は、親あっての、ご先祖さまあってのつながりによって生かされています。生まれてきたいのちに対して、お返しすることが大事です。それは、世のために役立つようなことを目標にすることです。素直なこころで、親やご先祖さまを大事に思うことも大切です。素直な心を育めば、目に見えない大きな力が方向性を示してくれることがそのうちに分かってくるでしょう。日々、自分の行いに対して「何のために?」「お金儲けだけなのか?」「世の中にお返し出来ているのか?」を考えて、助けたり助けられたりして生きていることを思い出して、自分の幸せを他の人の幸せにつなげられるようにしていくとよいでしょう。「おのれこそ おのれのよるべ おのれを措きて 誰によるべぞ よくととのえし おのれにこそ まことえがたき

よるべをぞ獲らん 『法句経160』」どうぞ、ご自身に仏とつながる光を感じ、今ここを仏さまの世界にしていってください。と、綴られていました。なんと、心落ち着く、語り口でしょう。何事が有っても、心落ち着け、自分のわが身を見据えた、「根っこ」があり、心が座った状態なのでしょう。只、この世に誕生した尊いいのちは、例え、「武漢コロナウイルス」が騒ごうとも、微動だにせず、落ち着いた「根っこ」は、侵されることはない。 もしかしたら、心騒がせず、「自粛」することにもつながるのではないか。

さぁ。人類は、さまざまな、疫病と、戦ってきた歴史があります。地球規模での闘いです。乗り越えましょう。