お早うございます。「変わらず あるものを 残して。大事なのは この国ぞ!」

2020/03/18

私は、この言葉が、私の胸に突き刺さり、離れないのです。この台詞は、大河ドラマの「麒麟がくる」のひとこまなのですが、明智光秀の母親が、斎藤道三の娘、濃姫を、織田信長に嫁がせるのに、光秀に、放った言葉なのです。私は、あの時代は、お嫁に行かせるのに、私情がいくらあったとしても、何が大事なのか、何がこの国で大事なことなのか、大局的なものの見方をしていたのだなぁと、感心します。 となると、私達令和の時代を迎えていますが、世界的に新型コロナウイルス感染が蔓延し、非常事態が世界を汚染しています。私は、どの時代でも、この台詞は、生きていると感じています。「変わらず あるものを 残して、大事なのは この国ぞ!!」

そして、この事態は、あくまでも「武漢市のコロナウイルス」が引き起こしたものだ。中国の隠蔽工作こそが、全世界に感染を引き起こした最も最悪な醜態と言える。全世界は、中国非難を明確にし、謝罪宣言があって当然だと言える。我が国も毅然とした態度で、外交を勧めてほしいものだ。

先般、相模原の津久井やまゆり園の殺傷の犯人植松聖の死刑判決が下されました。植松聖の「障がい者は、人権がない」の、持論主張を変えることはなかった。被害者家族は、やるせない思いで、辛い思いをより増幅したことでした。

「誰の命も大切」と、この国は、障がい者福祉も法律が整備され、障がいがあろうがなかろうが、この国に生まれたということは、この国の「宝の命」です。そして、それが人権です。

どこで、どうして、そんな、植松聖が存在したのだろうか。

この社会は、生産性、効率性を追求し、数値で測れる成長や経済的に役立つかどうかばかりに価値を求める方向性に傾いている現代社会、教育現場でも、福祉制度へも人間の価値を決めつけてはいないだろうか、「人の命の価値」のひずみが生じてきているのではないかと、危惧する。

私は、日々、さまざまな思いを感じながら、この時を過ごしている。お気に入りのブログ拝見は、何故か心が穏やかになり、生きている実感を味わうことができ、嬉しくなる。その時に、返歌として、短歌をコメントすることがある。

☆ 万木山(よろぎ山)春の訪れに ときめきて 沢の音にも 妖精が舞う  亀婆

☆ 春風に セリバオウレン逢いたくて 瞬時のときめき 夢心地かな    亀婆