22日竹島の日・23日天皇誕生日(天長節)祝日・24日振替休日でした。

2025/02/25

3連休でしたね。私の家は、この3連休は、連日大雪でした。だから、何処へも行かず、「雪ごもり」していましたね。私は雪が大好きですので、あぁ。なんて素敵な事だろうと、静かに、温かくして、22日・23日・24日と、雪の中に埋まって、日本って、なんて、素敵な国なのだろうと、今までの出来事を、私なりに、昭和~平成~そして、令和の今を、あれこれと、子どもの頃の私、小学校、中学校、高校、そして、親元を離れて名古屋の専門学校のことと、どんな時代だったかなぁ。と、思い起こします。そして、何故、ここ島根に帰省し、栄養士でお勤めしたかなぁと、その栄養士から、突然、相談室にくら替えしたのかなぁ。相談室で、何を大事にしたのだろう。そして、47歳の時に、何故、無認可の共同作業所を建てたのだろう。その無認可共同作業所「ファミリーワーク亀の子村」は、結局、病院を退職してのことだった。あの時代は、神戸・淡路大震災だったし、サリン事件が起こった年だった。あぁ。あれから、30年が経過して、今がある。

そして、2月22日は、島根県は竹島の日と条例して、島根県が、「竹島の日」として、島根県が、島根県で開催している。いやはや、この話は、可笑しなことである。本当は、日本の国土であるのに、何故、日本国の政治家が、ましてや、鳥取県の石破茂首相なのに、何故、日本国として、開催しないのか?、島根県民は、こんな時は、「喝!!」を、国に対して、申すべきだと思う。なんか、「変な日本国」だなぁと、感じます。

そして、23日は、天皇陛下の誕生日です。65歳になられました。

私は思います。今の日本人は、天皇陛下の祈りを知らない人が多すぎます。

実は、昭和20年の8月15日の時に、昭和天皇が、玉音放送を流されました。その時の、言葉で、「忍び難きを忍び、堪え難きを耐え」と、流されました。そこで、私は、時間がたっぷりありましたので、調べてみました。すると、その玉音放送の「忍び難きを忍び、堪え難きを耐え」は、ほんの一部だったのです。随分長い文章が書かれていました。その文章の中に、日本は神国として、滅びる事無く、この事実を家族に伝え、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道に遅れを取られぬよう心掛けよ。汝ら巨民以上のことを余が意志として体せよ。まだまだ、長かったのですが、端折りました。あぁ。そうだったのかと、現代人の私は、なんて、軽く思っていたことだろうと、反省しきりでした。となると、今の今上天皇は、ちゃんと、昭和天皇から、そして、今の上皇陛下と、そして、今の第126代の今上天皇へ、継承されているのに、今の日本人は、そう思うと、まるで、腑抜けているように思う。今の政治家も、官僚も、経済界も、学校も、みんなみんな、見事に空虚だということが分かる。

やれやれです。日本人は、もっともっと、我が国のことを知る時が来たようです。 どうも、私は、戦後教育を受けてきましたが、今になって、やっとやっと、真実の日本が見えてきました。たぶん、歴史が好きでしたし、たまたま、お寺に嫁ぎ、神仏習合だったことも、実感として味わっていましたので、もしかして、占領政策の洗脳が解けるのが早かったのかもしれません。

いやはやです。面白くなりましたよ。