愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ

2024/08/23

私は、この言葉が、亀の子を創設するときに知った言葉だったのです。平成7年頃の事ですが、あの頃の地域社会は、特に大田市では、障害者と言えば、本当に不条理な社会の中で生活していました。だから、私は、いつも、「先ず動いて行動を起こすことから、やっていました。」「当たって、失敗して、又、考えて」を繰り返していました。だから、福祉大学の先生の本を読んでもちんぷんかんぷんでした。なので、この言葉を知った時は、なるほどと、思ったものでした、私は愚かだから、体験し経験し失敗して学ぶのだなぁと、変に納得していました。そして、後者の賢者は歴史から学ぶも、賢者は歴史(他人の失敗)から学ぶだったのです。そして、たまたま、私は歴史が好きでしたので、より、日本史が好きになったようでした。特に歴代の武将の奥方が、とても気になっていたのです。だから、織田信長にしても、豊臣秀吉も、徳川家康の奥方の事がとても興味深々でした。摩訶不思議なのです。立派な武将の奥方は、不思議と「内助の功」を秘めた方達でした。山之内一豊の奥さんも、華岡青洲の奥さんも、「内助の功」なのです。私は、この歳を重ねてきて、令和の時代を迎え、家族の在り方が、どうも、バラバラの家が多く、「家の光」という、JA農協の「本」がある。しかし、今日、「家の光」は、「家庭に光があるのだろうかと」と、疑問に思う。以前は、「家の光は、母親だ」「母親は太陽だ」なんて、言っていた。実は、戦後79年経ったが、私ぐらいなものだろうか、すっかり、「家の光」が各家庭に光らなくなったなぁと、感じる。何故なのか、私は、その原因を実は分かってしまった。それは、GHQが消し去った「教育勅語(きょういくちょくご)」にあった。その本には、何故教育勅語を作成することになったのか、理由が書いてあった。明治の世となり、いたずらに外来の思想に捕らわれて国体を危険に導くことは許すべからざる大逆であると、のべられている。そして、父母に孝養を尽くすことは人情自然の発露で道徳の根源として数千年来伝えられている我が国の美風であるとかかれている。山ノ内一豊の事、新井白石のこと、貝原益軒のこと、乃木希典のこと、日本赤十字社のこと、学を修めること、業を習うこと、公益を広めS世務を開きとある。「世のため、人の為に生きよ」と、書かれていた。

本当に、戦後の79年もの長きに渡って、この重要な日本の「根源」を、現代人は学ばずに来たのだ。いやはや、悲しいことであった。

なので、私は、たまたま、知るご縁を頂いたので、私はここに書いてみた。