里山は感性を育てる。写真家の今村光彦さん云う。

2024/06/19

そこで、私のお気に入りのブログからです。

☆蒸しあがる頓原の粉まき団子 歩地爺

☆汗流しへか焼きの味焼きしいら 歩地爺殿からです。

そうなのです。この時期は、ここ大田では、山帰来の葉っぱで、「まき団子」を作るのです。団子の粉は、昔は、もち米を粉にしてもらっていましたが、今は、頓原の粉をJAグリーンで買います。そして、へか焼きは、大田では、しいら(万作)の魚を焼いてから、すき焼きに入れるのです。実は、私は山口に嫁に来てからは、一度もしたことはありません。うふふ。「郷に入っては郷に従え」なのです。と言っても、どうも「しいら・万作」の刺身を食べたら、当たったらしいのです。そして、石見の国と出雲の国の境目でも違ったようです。面白いですね。「里山は感性を育てる」って、TVで流れたのです。

実は、この言葉に妙に感心したのです。

というのは、コロナが過ぎ去って、どうも世界は混沌としています。たぶん、日本人ならば皆が感じることだと思います。そうすると、詩人の谷川俊太郎氏も、そんなことを言われていました。92才の方です。「生きるとは、どういうことかと、問われる時代になっている」「生きる力と生命力について」混沌とした時代の中にあって、問われている。

この世界は、人間は、やっぱり争うね。勝負ごとが好きだからね。年を取ったら、「平気になっちゃいます。」詩を紹介します。 【ほんとうの宝は 日々の暮らしの中にひそむ 四季のめぐりの自然にまぎれている 湖の水の源から海までの流れに沿って どんな気もちが生まれるだろうか どんな宝がみつかるだろうか】なんか、素敵でしょ。詩の中に「ほんとうの宝は、四季のめぐりの自然にまぎれている」と言う。

ほんのこの間でしたが、面白い質問の電話がありました。

『神様と仏様は、どっちが上ですか?」と、私は傍(はた)と困りました。私は、咄嗟に「神様も仏様も比べるものではありませんよ。上とか下とかありませんよ。」「森羅万象(もりらばんしょう)」あらゆる物事・この世一切・すべて・宇宙全体のすべての存在や現象をお守り頂いている神さま・仏様かな」と、説明させて貰ったのです。どうも、現代人は、上から目線で物を言う人が増えてきました。何故、そんなことになったのでしょうかね。私は思いましたね。私も子どもの頃、母親に、文句を言っていましたね。だから、いつも母親から、苦言を言われていました。「あんたは、何でもかでも、知ったふりをしていますが、あんた如きが、知っていることは、あんたの爪の垢も知らんからね。世の中は知らん事ばかりだからね。」「偉そうに威張りなさんなよ。」「無知は罪なり・知は空虚なり」実は、幼い私は、母親がこの言葉を言っていたことを思い出した。もしかして、今の時代にも、この言葉は通用しているように思う。オホホ。私はどうも目覚めて来たようです。