「桜と日本人」

2024/04/11

「桜と富士山と日本人」日本列島は、桜前線が一気に北上していますね。「桜だより」があっちこっちで、本当に「春爛漫・春うらら」です。我が家からの出発も、桜咲く、我が家の庭から、「行ってらっしゃい」と、花びらが手を振っています。さんべダムの畔も花盛りです。野辺の山々も、山桜が、あっちこっち、頬紅を付けたように、「オホホ・オホホ」と、笑っています。本当に摩訶不思議な、春めいた明るい心になります。この春めいたうきうきした心持は一体いつからなのだろうか。遠い昔の平安時代の頃から、桜の下で、宴を開催していたとか。あの頃は、雅な貴族の遊びだったのですね。それが、庶民の行事になったのが、江戸時代以降とか。それも、安土桃山時代頃の文禄元年頃からと。1592年~豊臣秀吉の花見からのようです。いやはや、「桜と富士山」って、日本人のマインドの土台になっています。日本人のアイデンティティーの一部ですね。そうなんです。マインドとは、「心」・「精神」ですね。アイデンティティーとは、「自我同一性(じがどういつせい)」は、自分が自分であることを自覚することです。私は、この自我同一性は、思春期の時に、誰もが通過する関門だと思っています。この自我同一性を持てた時に、「大人」になります。実は、ここの所が、いい加減に自分の心にストーンと、落ちていない人がおられます。ここをきちんと通過した人は、自己選択、自己決定、自己責任がうまく行き、自己実現できます。そして、初めて、自分の人生の主人公は自分である事に気づきます。かけがえのない自分に気づきます。

すると、「あぁ!!今年も桜が咲いた」と、思い出を巡ります。毎年、春が来れば桜は咲く。そのルーティン化した経験は、何重もの層になって心の奥底に蓄積されます。うふふ。歳を重ねると、その「思い出」の層は、厚くなります。そして、今年の新しい出会いの「桜」の思いでも蓄積されて行きます。その「思い出」は、「私」が考える以上に「私」を支え、「私」の価値観を形成します。うふふ。なんか素敵だと思いませんか。大袈裟かもしれませんが、人間は「思い出」なしには生きていけませんね。思い出は、人が人であることの証なのかも知れませんね。うふふ。特に日本人って、やっぱり、素敵ですね。