まぁ。節分荒れかなと、思いきや、お日様が当たりだしました。

2020/02/05

いつもの、お気に入りブログを拝見します。今日のブログの写真は満開の白梅と、満開の蠟梅です。その写真を見ただけでも、辺りに馥郁(ふくいく)としたハッピーな雰囲気が漂っています。馥郁の意味は、よい香りがただようさまなのです。うふふ。現代人はあまり使わなくなったかもね。そして続いて、☆七種の大きくなりて春来る と、俳句が詠われています。春の七草の仏の座などが、撮影されています。本当ね。見過ごしてしまう小さな花たちです。よっぽど、気よつけて見ないと、見逃してしまいます。私たちは、日常生活の中で、案外、忙しい忙しいといって、多くのことを見逃していることに気づきます。特に、現代社会は、情報が氾濫していて、右往左往しています。「何が本当で、何が偽物で、時々、いろんなことが起こると、頭の中はパニック状態になります。私も、若い時には、抱えきれないほどの問題が発生すると、「何とかしなければ。」と、その事ばかりが、頭を占領してしまい、もう、夕方には、ぐったりして、「あぁ、私の頭は、酸欠で、飽和状態だ。」なんて、一人で叫んでいましたね。今思うと、まだまだ未熟な私がいたのだなぁと、懐かしく思い出します。と思うと、今は、問題が発生すると、「よし。来たか。」と、物事の本質を落ち着いて見極めます。丁度、お巡りさんが、「現場第一主義」と、現場に行かれます。そうですね。そして、事実は、真実は、本物は、本当は、本心は、と、事の根っこを見極めるようになりました。こうなると、面白いほど、「人は」いいものだなぁ。「人間は」いいものだなぁ。と、ますます「人間」大好きに傾いていきました。すると、不思議ですね。いろんな人がいるから、面白いことが、実感として分かります。だから、金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」なんだよなぁ。と、合点します。イタリアでの、ダ・ダビーチノ・ネッスーノ・エ・ノルマーレ(みんなちがってみんないい)なのです。面白いでしょ。そして、またまた面白いことに出会いました。私は、ヤマザキマリさんの漫画本を何冊か求めていましたので、その中の、「オリンピア・キュクロス」を読んでいるのですが、その本を推薦している養老孟司氏との対談が載っていたのです。その養老孟司さんの、言い分が、成程なぁと、実感したのです。自然への関心を持ち続けていた人が歳取ってから、ハッピーなんです。

最後には、人間が作ったものに興味はない、自然に関心を持ち、虫を捕ってる方が楽しい。ですって。うふふ。私も大いに賛成でした。