夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉

2024/04/10

何故か、甘屋の円城寺のブログを拝見すると、不思議と、この芭蕉の俳句が過るのです。実は、この方の2015年2月のブログも甘屋の円城寺でした。その時にも、返事のメッセージに、同じ「夏草やつわものどもが夢の跡」を載せていたのです。染みついているのですよね。困ったものです。お年寄りが、いつも同じ話を繰り返すと、言いますが、もしかして、私もご多分に漏れずそのようです。まぁまぁ。それもありかと、受け入れましょう。

それがね。あの甘屋の円城寺は、平安時代の朱雀天皇の時に、930年~946年の時のことなのです。開基(かいき)は、朝満(まんちょう)上人の天台宗のお寺なのです。天台宗とは、1200年(延暦25年)806年に伝教大師最澄によって開かれた宗派です。天台宗の教えは、①全ての人は皆、仏の子どもと宣言しました。②は、悟りに至る方法を全ての人々に開放しました。③は、まず、自分自身が仏であることに目覚めよう。④は、一隅を照らしましょう。(一隅を照らす運動)比叡山の延暦寺根本中道が有りますが、そこから、ずっと繋がっています。うふふ。凄いでしょ。だから、あの平安時代に、甘屋の円城寺は、あの頃、石東における天台宗の大寺院として隆盛を極めていたのです。宏大な寺院で、寺の建物は、紺色の軒先に朱色の屋根が光輝き美をつくし、建物は廊下でぐるぐると連なり、山は高く、眼下に三瓶川の渓流を見下し、遠く三瓶山や鶴降山(つるぶざん)が雲霞の間に望まれ、まさに天下の絶景なりと、壮観していた。お経の声と香(こう)の香りが漂う一大寺院文化団地ともいうべき霊場が、この峯を主峯とした山々谷々に現れていた中世の隆盛が偲ばれるとともに、創立開山以来、この霊場に入って修験道を修行し悟りの道に入らんとした山伏の熱烈な信仰の姿が思い起こされる。しかし、中世室町の世まで隆盛を極めた円城寺は、戦国争乱の世の中となり、この甘屋の円城寺も、永禄元年~9年(1558年~1570年)に尼子合戦にて、とうとう、合戦悲史は、次の世に伝えられた、徳川の世となり、法灯は絶えることなく、お寺は復活した。その面影は、今に生きている。