新年度が幕開けで~す。

2024/04/03

私のお気に入りブログに俳句が載っていました。

☆黎明や草に負けじとつくつくし 歩地爺

実は長久小学校の校歌には、ちゃんと、黎明の鐘と出てくるのです。私の大好きな校歌でした。

一番、黎明の鐘 鳴りひびく

みどりが丘の 学び舎に

松風清く 鳥はなき

つどえるわれら のぞみあり

二番、ふるさとの川 水すみて

千町田(ちまちだ)ひろき この丘に

久遠の真理 求めつつ

つとめるわれら 光あり

三番、めぐみあまねき 産土(うぶすな)の

大地に立ちて むつまじく

三瓶の高ね 仰ぎつつ

伸びゆくわれら 力あり

そうなんです。黎明の鐘が大好きだったのです。うふふ。その黎明(れいめい)の鐘とは、夜明けに当たる時期の事をいいます。新しい時代の幕開けですよ。新しい文化の時代の始まりですよ。ということは、私は小学校時代に、常に、「黎明の鐘」が、妙に好きだったのです。なので、私も、歩地爺さんの俳句にお返しをしました。

☆今の世は聡明期なり春うらら

草木も鳥も謳歌するなり 遊亀婆

私は、年を重ねて来たからこそ、分かって来たことが、この頃多くなりました。と言うのは、養老孟司さんのYouTubeを見た時にも妙に合点したのです。と言うのは、現代の都会人の暮らしがとても、私にとって不気味なのです。都会の建物はofficeは、一日中明るいですし、人々は高僧マンション暮らしですし、都会人は可哀そうだなぁと、思っていました。私からすると、都会は無機質ですし、無感動な無関心な当にロボットがうごめいていると、感じていました。その様子をマザーテレサは、都会人はゴースト(幽霊)と、表現していました。すると、養老孟司さんは、都会人は病人だよ。脳を使わないし、あれじぁ「人」は、育たないよと、YouTubeで流れたのです。私は、そうか。今まで、何か都会は、遊ぶにはいいけど、暮らすところじぁないなと、思っていましたが、やっぱりでした。

脳を使わないと、退化してくる。五感を使い、第六感も、それが人間の感性を作ると。江戸時代の陽明学の命題の一つだった。

「知行同一」~知(知ること)と、行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり分離不可能である考え。大塩平八郎

それだけ、私たちの脳(脳みそ)は、大切なのです。脳はコンピューターですからね。