積善の家には必ず余慶あり。

2024/03/27

実は、私はこの言葉は、子供の頃から聞いていました。里の母親がいつも、言っていたような気が致します。なので、嫁いだ処が、お寺でしたので、その「積善の家には必ず余慶あり」が、身に染みて理解できたのです。日本は、特に節々を大切にし、「1年の計は元旦にあり」とし、四季折々の行事を大切にしてきました。特に日本は「春夏秋冬」と言って、季節を大切にしてきました。我が家は、お寺さんでしたので、ご先祖様達の、年回帰も大切にし、お盆には、棚行と言い、各家のおつとめに行きます。その時に、昔は、おじいちゃんを車に乗せて、小さい子供達も乗せて、棚行にお付き合いしていました。すると、家に帰ってから、おじいちゃんは、「今日の家は、感心したなぁ」と、お話をしてくれました。「テレビで高校野球をしていたが、親も子供も、みんな仏壇に来て、お参りしてくれた。」「お仏壇にも、お花が供えてあり、霊膳も供えて、お供え物がいっぱいしてあった。」「あがな家は、代々継承していけるな。気持ちがいいもんだ。」でも、中には、何にもしていない家がある時があるけど、そがな家は悲しいなぁ・・・」

どうも、「善行を積み重ねた家には、その結果として子孫に必ず幸福が訪れる」の「子孫に」という、善行を積み重ねた個人がすぐに恩恵を受けると言っているのではなく、子孫代々に渡って善行を積み重ねておれば、そのうちに良いことがあると言っています。この長期的観点を見落として、良いことをしておれば良いことがあると短絡して考えるから、根拠のない迷信じみた言葉だと現代人は誤解してしまいます。特に、戦後教育を受けた私は、何でも早く早く、結果を出そうとする癖がある。実は、こうして年を重ねてきたからこそ、色んな事が分かるようになり、今の現代人は、大抵の人が、「今だけ・自分だけ・金だけ」の人が多くなった。

私は、「積善の家には必ず余慶あり」は、本当だなぁと、実感できる。と言うのは、この社会福祉法人亀の子も、この土地も、父親から無償でいただいたものだった。母親は、この土地は、仏さまからの借りものだった。それを、「仏さまに、お返しするまでの事だ。大事に使えよ。」そして、親族も誰一人として、反対する人はいなかった。そのことを、周りの人は不思議がっていた。

となると、今の日本は、「自分だけ・金だけ・今だけ」の短絡的な人々は、丁度、考える時なのかも知れない。

日本の政治家達も、経済界も、立ち止まる時の到来です。