令和6年を迎えて1月1日早々から大波乱の幕開けですが、それでも希望の光が確実に見えてきました。

2024/02/26

2月23日は、天皇陛下のお誕生日でした。東京は小雨が降る寒い日でしたが、皇居の二重橋を通って、宮殿にお出ましになられました。一般参賀が開催されました。4年振りに事前抽選のない形で行われました。雨天の中約15900人が集まった。私は、テレビを観ながら、天皇陛下・皇后陛下・秋篠宮ご夫婦・愛子さま・佳子さまと、でられ、微笑みながら、お手振りをされました。とてもテレビの画面でしたが、思いましたね。我が国日本の天皇皇后両陛下、秋篠宮家と、お子達と。日本の象徴として、絶え間なく、日本国民の弥栄を願っておられる様子に、日本人は、幸せ者だなぁと、感慨深いものがありました。とんと昔のことですが、私が二十歳の頃でした。

1967年〈昭和42)の頃のことです。あの当時は、昭和天皇の頃です。元旦には、着物を着て、丸髷に結い、お正月を迎えていました。東京の皇居での一般参賀のニュースが流れると、大概の人は、着物を着て、頭を丸髷に結い、日の丸の旗を持ったニュースが流れていました。不思議なものですね。もう、56年も昔のことですのに、昭和の時代から平成の時代に、そして令和の時代となり、それもとても身近に、日本の行く末を思うようになりました。天皇陛下・皇后陛下と、変わらず国民の安寧を願い、神話から続く世界で一番長い歴史を持つ国を、初代天皇から数えて、126代の天皇陛下を、我が国日本は、いただいているのです。

ともかくも、我が国は、本当はもの凄い国だったのです。私は、切に気づいてしまったのです。だから、余計に、そう感じているのかもしれません。そして、次の2月24日は、山陰道「大田・静間道路」「静間・仁摩道路」開通記念プレイイベントが開催されました。サイクリングだったり、マラソンだったり、ウオーキングだったりと、大田市はお祝いムードでした。実は、私も亭主と2人で、「あすてらす」ホールにて、高市早苗大臣の大田講演があり、出かけました。会場に入るなり、わぁ。大田空港かな?と、勘違いしそうでした。セキュリティーチェックです。ガードの様な所を通過し、荷物もチェックが入ります。とうとう、ボディーチェックも感知器のようなもので、チェックです。さすがですね!そして、それに合格した人には胸に赤いシールを貼って貰います。他の所ではいけません。ちゃんと胸に付けて下さいと、チェックが入ります。会場はあすてらすホールですので、収容人数は、290名です。もう、満席でした。ロビーにも席が準備してあります。モニターで視聴できるようです。知り合いが座っておられます。あら。どうして、会場に入りませんか?と言うと、前売り券を買っていなかったのよ。と、なるほどと、合点したところです。

会場は、満席です。時間が来ましたので、始まりです。高市早苗大臣どうぞと。すると、大きな拍手です。

そして、一同、国歌斉唱です。起立。「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすうまで・・・」

能登半島地震の被災地に黙とうです。 着席。

そして、講演が始まりました。 いやはや、びっくりしました。と言うのは、実は本当に高市早苗大臣が、この大田市に来られるかなと、疑心暗鬼でしたのです。やっぱり、百聞は一見に如かずでした。そして、日本国の本物の政治家さんでした。私は、こんな政治家ばかりなら、我が国日本は大丈夫だなと、明るい希望も見えました。