始まり始まりです。第1回・歴史講座です。

2020/01/31

今年から、のほほん利用者からのアンケートにより、私が「歴史講座」を担当することになりました。始まり始まりです。今日の講座は、「千姫物語」にしました。私は、我が家から、ウグイス色の小紋に、もみじ柄の羽織を持参しました。私の嫁入りの着物の一つでした。そして、紅色の舞扇も準備しました。これで、演出は、バッチリです。うふふ。まるで講談師のようです。先ずは、千姫の誕生から始まります。千姫は、1597年4月11日に伏見城内の徳川屋敷で誕生しています。徳川家康の子どもの二代将軍秀忠と、正室は、お市の方と、浅井長政の子ども、長女が茶々7、次女はお初、三女お江なのですが、その三女のお江と、結婚し、その長女が千姫なのです。その千姫は、1603年7月に、大阪城に入り、秀頼と結婚しました。千姫7歳、秀頼11歳、です。大坂冬の陣、大阪夏の陣で、1615年5月7日深夜大阪城が炎上します。千姫は徳川勢の坂崎出羽守の陣に向かい、徳川家康の本陣へ届けられた。千姫19歳の時であった。その後、千姫は、本田忠刻と結婚し、桑名藩に行き、翌年に、姫路城に移る。千姫22歳に、1618年に初めての子勝姫が誕生します。そして、翌年長男、幸千代が生まれます。1621年幸千代が3歳で亡くなり、その後、流産を繰り返し、1623年に姫路城西の丸の化粧櫓から望む小高い男山に千姫天満宮を建立するる千姫の祈りは届かず、不幸が訪れます。1626年、参勤交代から帰った夫、本田忠刻が結核で31歳の若さで亡くなった。またまた、不思議なことに、亡くなった日付は、大阪城落城と同じ、5月7日でした。また、続いて、1626年8月には、姑、熊姫(妙高院)が、9月15日には、お江(宗願院)が次々に亡くなります。千姫にとって辛く悲しい出来事が続きました。千姫を心配した弟の徳川家光のすすめもあって、娘の勝姫と共に、江戸にもどることになった。そうして、物語は続き、1666年2月6日、千姫(天樹院)は、生涯を終えました。享年70歳でした。千姫は、織田と徳川の血を引く姫君でした。歴史が転換する中で、彼女の運命づけられたのは、戦国の姫たちの中でもトップクラスの悲しい道だったのです。しかし、彼女は戦国の世を不条理を飲み込んだうえ、波乱に満ちた人生を生き抜き、人々に愛され、頼りにされ、尊敬され、まっすぐに生きた素晴らしいあっぱれな生涯であったと思います。「のほほん」のメンバーは、最後まで、とっても熱心に聞いてもらいました。いやはや、歴史を知るは、人間を知ることになり、まさに、温故知新だと、改めて実感です。