2023/12/12
私たち日本人は、今まで、どうも目隠し状態でしたね。何故目隠し状態だったのでしょう。
私は、思います。「臭いものには蓋をしろ」と言って、何もかも、「知らなくてもいい」「お前さんが知らんでもいい」「政府が右向けと、言えば右を向けばいい」「そんなの関係ない。関係ない。オパッピー!!」と、深く考えることもしなくなった。それって、「三無主義」の無気力・無関心・無責任の若者気質だった。昭和45年の頃だった。そして、これに無感動を加えて四無主義と言った。しらけ世代です。
実は、私も若かりし頃ですし、人一倍、正義心が強かったものですから、燃えていた自分がおりましたね。そして、あの頃、多くのメンバー達(精神障がい者)は、自分たちは、人として見てもらわれない、もどかしさ「理不尽」を常に抱えていましたね。家族の間でも、「お前さんは、人前に出るな。結婚式にでるな。葬式にはでるな。法事にはでるな。何をするか分からんからな。お前さんは、頭が弱い子だからな。つまらん子だからな。引っ込んどれ。」そんな親御さんに、私は、「そんなことを言うもんじぁありません。我が子に向かって失礼ですよ。」と、いつも親御さんを諭していました。それでも、親御さんは、「本当の事だけな。あがに言うなら、訴えますでな。」と、私も腹が立って、「我が子を、そんなこと言う親こそ、差別です。わたしの方が訴えます。訴えてたら、私の方が勝ちます。」と、言い返していましたね。あぁ。いろんなことがありましたね。忘れもしない。
松江地方裁判所に行き、情状証人として、裁判席で、意見を述べたことがありました。あの時も、必死でしたね。なので、私は、いつも、基本的人権の尊重が根っこにありました。
その基本的人権の尊重は、日本の憲法の三原則に載っていますので、これは、柱だと思っていましたね。
この基本的人権の尊重が柱ですので、一人一人の命の尊厳を尊重し、障がいを持っていても地域社会の中で一市民として、ごく普通に当たり前に、「自分の人生の主人公は自分である」ことを自覚し、一人一人のライフステージに添った人生が実現できるように、支援体制を整えてきた。それは、今も継承されていると信じたい。
私は、そんな過去が、今はとても懐かしい、必死で「前に、前にと」進んできた。
私の足元の社会が、ここ大田市なのです。この大田市から、島根県を眺め、そして、日本列島を見て、そして、お隣の外国をみます。韓国・北朝鮮・台湾・中国・ロシア・そしてアメリカと。
いやはや、見えてきましたね。
大方の日本人は、本当に今までは、お人好しで、外国からも、いいように、おだて上げられ、いいように、操られていました。
どうも、今が、日本人が、目が覚める時です。どのぐらい目が覚めてきているのでしょう。
早くしないと、滅茶苦茶にされてしまいます。 目が覚めたものから、動きましょう。