お早うございます。

2020/01/29

私は、そごう広島店本店の5階紀伊国屋書店にて、興味深い本を何冊も求めた。文庫本なので、求めやすい。その中の一冊に、「精神科は今日も、やりたい放題」医者が教える、過激ながらも大切な話 Tokyo DD Clinic院長、NPO法人薬害研究センター理事長/内科医 内海聡著を、見つけた。その本の話を、「のほほん」を利用しているMさんに話すと、「あれぇ。その本は文庫本でないときに、求めて読みました。」あっ。そうなんだ! 流石だなぁと、感心しきりです。やっぱり、真剣に精神医療を考えているメンバーは、ちゃんと、情報をキャッチしているのだなと、だから、こうして、文庫本として、出てくるのだなぁ。と、しかし、まだまだ、現実の社会現象としては、汚染されてきたと言った方がいいかも知れない。1990年代の平成2年後半から変わって来たのかもしれない。実は私も、この頃から、精神科医療に疑問を呈していた。相談室に勤めていたので、より、そう感じていたのかもしれない。精神科病院の主人公は、医者であると、権威を振りかざしている姿勢には、もう嫌悪感が漲っていたと思う。だから、その気持ちは、私個人だけのものか、確かめたかった。幸いなことに、埼玉県大宮に「やどかりの里」という障害者施設があった。1970年(昭和45)に「ごく当たり前の生活を」求めて始まった活動だった。効率だけが優先される社会ではなく、一人一人が尊重され大切にされる社会を、そして、障害のある人も一人の市民として共に生きる街づくりの活動をしておられた。私は、この活動に心は傾き、とうとう、1991年(平成3)には、「やどかりの里」を見学に行き、衝撃を受けて帰って来た。私は、この私の考えている事でいいのだと、自信が芽生え、納得が言った。「よし。精神科病院の主人公は、患者さんなのだ。」と、確信できた。しかし、世の中は、逆に、テレビによるコマーシャルや新聞広告により「精神科は怖くない」「精神科は精神を治してくれる」という誤ったイメージが浸透していった。人々は、安きに流れます。何が何でもトラブルを避けることだけを考え、「臭い物に蓋をする」で学ぼうとしない。「体裁」「プライド」「しがらみ」「周囲の目」「踏み込み」などばかりを気にして、その結果、問題に対して正面から取り組むのではなく、誤魔化しこそが精神科であり、精神薬であった。私も、とんと昔のことであるが、精神科医師が、「貴女にはいい薬を出しているのだが、効かない貴女の方がおかしいのではないか?」と、私の所へ飛んできた彼女がいた。私は、この時も、憤慨して、「いい加減にしてください。彼女を苦しめないでください」と、彼女の一番の味方になったことがあった。そうだと思う記事があった。精神科ではだれも治らないので、クリニックでも病院でも患者はたまっていく一方である。この事態は、誰も治さないことによって通院患者数を増やし、収入を増やそうと企んでいるに等しい。社会が病んでいるから精神科に患者がたまるのではないということを、いまだ一般人はだれも理解しようとしないのだ。そもそも精神とか心とかの問題は、人間的な問題であり、社会的な問題であって、医学の問題ではない。それを医学の問題であるかのようにすり替え、自分たちの利益の誘導した精神医学界の策略は、奸知(かんち)の一言に尽きる。それと共に、人々が根本的な問題から逃げ続け、精神科という見せかけの看板と専門家に丸投げしたともとらえることができる。「家族の問題を真剣に考えて取り組む人間は日本にいなくなってしまったのか。もともと、精神科などというものは、この世に存在しない方がいいかもしれない。これが存在するからこそ、人々は甘いものに群がる蟻のように精神科に集まり、最後は踏み潰されていく。もし、精神を治療してくれるような都合のいい組織も科学もないという前提に立てば、人々は必ず自分で立ち直り、生きていく力をもつものである。

いやはや、現代人は、令和になり、目を覚ます時代が到来してきていることに気づく時なのかもしれない。

私は、まだ他にも、面白い書物を見つけたので、また、紹介していこう。