私は何故、フェルメールの「真珠の首飾り」に魅かれるのか?

2023/11/01

実は、私の三大の「微笑みの絵」の中の、一つがフェルメールの「真珠の耳飾り」の絵なのです。いつでも、私の手元にあり、眺めて幸せを感じることができる。摩訶不思議なことです。ちなみに、後二つは、巨匠レオナルドダヴィンチの「モナリザの微笑み」と、中宮寺の菩薩半跏像(如意輪観音)です。

フェルメールの「真珠の耳飾り」の絵は、フェルメールの出身地は、オランダです。彼が生きていた時代は、17世紀です。その頃の日本は、鎖国中でしたが、ヨーロッパの中で唯一オランダと貿易をしていました。当時のオランダはスペインから独立を果たすと、貿易や文化、軍事などが急速に発展し、経済的繁栄を遂げる「黄金時代」を迎えていました。実は、フェルメールの絵には、着物だけでなく東洋式の陶磁器がいくつも登場しています。アジアと積極的に交流していたことがうかがわれます。そして、このころのオランダの経済は日本の『銀』に依存していました。世界史でも必ず出てくる、アジア貿易を独占していたオランダ東インド会社が繁栄できたのも、日本の『銀』のお陰といっても過言ではありません。オランダにとって、日本はそれほど重要な存在だったんです。そして、スピノザの哲学と日本なのです。スピノザは「天文学者」であり、「地理学者」です。着ている物も着物です。「丹前ですね」この哲学者は、神と自然とを同一する汎神論と言う、哲学を唱えています。西洋の多くは一神教です。キリスト教というのは、神を一番とし、自然はそれよりも下位にあると考えられています。

真珠の耳飾りも、日本の真珠かもしれませんね。日本は鎖国中でしたから、戦国時代が終わり、江戸時代となり、当時庶民の間で大流行した浮世絵をみると、彩色豊かで人々が生き生きと平和に暮らしていた世の中が描かれています。西洋では戦争が相次ぎ、残虐で暴力的で、そして暗い作品がいくつも誕生しています。

戦争の西洋と、平和な日本なのです。まるで違う世界状況です。

真珠の耳飾りの少女も、よく見ると、着物を着ていました。田中英道先生が見つけられました。私は、なるほどなぁと、感心します。何故かと言うと、私、日本人は、とかく、西洋のヨーロッパに憧れたり、欧州のアメリカに憧れたりしていました。イタリアに行った時も、イタリアは、世界遺産が一杯あるけど、あの当時、石見銀山が世界遺産に登録されていましたので、負けるものかと、らとちゃんのマスコットをぶら下げて、行きましたね。

イタリアに行った時に、看護師さんのTシャツの「DA vicino nessuno E` normale (ダ・ビィチーノ・ネッス―ノ・エ‣ノルマ―レ)(近くで見ればみんな正常な人はいない。)金子みすゞの「みんな違ってみんないい」なのです。となると、本当は、日本人の生き方の方が優れていることに気づきます。

実は、もう、既に、江戸時代の本居宣長(もとおりのぶなが)は、1730年~1801年の方ですが、日本人は素晴らしいといった、最初の人でした。あの当時、上田秋成氏と、1786年~1787年に「日の神論争」をしておられます。日の神とは、天照大神のことです。その時に、漢意(からごころ)とは、中国人のことです。

漢意と、大和心とは、違う。江戸の前半は中国に行き学びに行っていたが、後半からは、行かなくなった。

中国は易姓革命だと言って、一族を殺し、次の政権を執っていた。暴力革命だった。~日本は違うぞと。

日本は、自然道、自然信仰~安定した気持ちで過ごせる。幸福がある。一神教は、他の神は殺してもいい。マルクスは、権威・権力を振りかざし、復讐の連続だ。そして、マルクス主義は、進歩すべきだと、競争を煽る。

日本は、「みんな違ってみんないい」・日本人は「もののあわれ」日本固有の自然を愛でる。情緒、精神、情がある。「敷島のやまとごころを朝日に匂う山桜」和歌があり、情緒、愛情、自然への愛情がある。

源氏物語も、もののあわれがある。

日本は先駆的な国だった。日本は、同化して、消化して、学ぶ。誰も迫害しないし、罰しない。

中国の漢詩には、愛が語れない。