李登輝(りとうき)の箴言(しんげん)~未来の日本人へを読んで。

2023/09/21

私は、凄い書物が手に入った。と言うのは、この方李登輝氏は、「自分は22歳まで日本人だった。」と、台湾は日本が敗戦する1945年までの50年間日本の統治を受けた。台湾が法的に日本の領土でなくなったのは、サンフランシスコ講和条約が発効する1952年4月28日でした。その時代の台湾人は、その後の一生を日本文化の影響を受けて生きる「文化的日本人」と言える存在です。この世代の台湾人にとって、心の祖国は常に日本であり、死ぬまで日本文化の影響を受け、日本的精神をずっと持ち続けています。李登輝氏は、22歳の時に日本から台湾に戻って、編入した台湾大学では、教師の多くが中国人でした。当時の台湾の政府機関も大学もすべて中国文化そのものでした。台湾大学を卒業すると、アメリカの一流大学に入りました。だから、李登輝氏は、戦前は日本の教育を受け、戦後は中国文化に接し、留学により、アメリカ文化も体験しました。彼は「中でも一番自分の心が影響を受けたのは日本文化だった。」「日本文化には深みがある。しかし、中国文化やアメリカ文化には深みがない」とも言っていた。台湾人では、日本統治時代の台湾語で、リップンチェンシンと呼ぶ日本精神を良く使っていました。台湾人が憧れる武士道精神であり、サムライ精神でした。日本の大きな自然と調和する李登輝氏が触れた日本人の美でした。李登輝は自然との調和を日本文化の核心部分だとかんがえていました。もののあわれと、侘びさびを生活の中で見つけだす。これは恐らく日本人しかに持っていない感受性ではないでしょうか。と。李登輝は、「誠実自然」を認め、2007年に日本に来た時に、奥の細道を歩き、一句を読みました。

深川に芭蕉を慕(したいひ来 夏の夢 李登輝

松島や光と影の眩(まぶ)しかりけり 曽文恵 (奥様)

なんか、素敵だと思いませんか。私は日本人だけど、最も日本人らしいと思いませんか?

又、このつづきを書きますね。今日はここまでね。