現代の日本の危うさは、歴史をかえりみると、江戸時代の幕末に似ていると。

2023/09/04

と言うのは、現代の日本の立ち位置が、地方に暮らす私たちにも、今現在進行形で、理解でき、一市民としては、知らん顔できない状況にある。特にウクライナ、ロシア問題は、一向に埒が明かないし、お隣の支那の国(中国)は、原発処理水の海洋放出を反対し、日本の水産物を全面禁輸すると、沖縄、尖閣諸島には、中国船が毎日、出没し、危険状況も発生、台湾も中国の、「一国二制度」だといい、台湾は中国のモノだと、主張する。1997年7月に英国から返還された香港に対して適用されてる。今は「香港」を「特別行政区」として、独自の行政、立法、司法権を認め、中国本土では認められない言論・集会の自由も与えるとなっているが、(民主の女神と呼ばれ、活動して、日本も随分と賛同していた。しかし、活動家の多くは投獄された。(一躍有名になった、雨傘運動)もありました。そして、北朝鮮も、何度も何度、ミサイル発射にて、日本を挑発しています。日本人の北朝鮮拉致問題も一向に解決されません。そして、韓国の竹島は、日本の領土ですのに、埒が明かない事態です。お隣の中国は、日本の土地を買い漁っていますし、そして、都会地では、他国民の暴動が発生しているとか❔

実は1836年の江戸時代に仁光天皇が47歳の若さで崩御され、直ぐに、皇太子だった、光明天皇が、皇位を継承された。(明治天皇のお父様です。)時に、まだ16歳というお若さでした。しかし、当時の状況は、日本を取り巻く情勢はとても危険な状況でした。弘化3年(1836年)は、4月には、イギリス・フランスの軍艦が琉球に来航する。同じく4月にアメリカの東インド司令長、浦賀に来航する。6月には、フランスのインドシナ艦隊司令長官めセシュが長崎に来航し、デンマークの船が、相模に来航する。8月には、イギリス艦隊が琉球に来航する。そして、そのころのアジア・アフリカ・オセアニアの、ほとんどの地域は欧米諸国の「植民地」にされつつありました。そのことを知っていた心ある人々は、外国船の来航が相次ぐのを聞いて、「いよいよ日本にも、彼らの手がおよんできた」と、感じたことでしょう。ふと、現代に目を移すと、今の日本も北や南の固有の領土を奪われそうになっています。ですから、その時代の心ある人々の気持ちが、ようやく今の日本人にも、少し分かるようになってきました。孝明天皇は、そのような時代のなかで、我が国の行く末を、心から心配され、この年の8月に、幕府に「御沙汰書」を出されます。いわば「命令書」です。

江戸時代はすべての政治を、幕府が仕切ることが当たり前の時代でしたから、それまで天皇が幕府に「命令書」を出すなどと言うことはありませんでした。そのあと、孝明天皇は、伊勢の神宮をはじめとする日本の神社仏閣に、「国安かれ。民安かれ」の激しいお祈りを、繰り返しささげられるようになります。

安政元年(1854年)2月9日には、伊勢神宮へ「祈り」をささげられていますが、その祈りの内容は、「外国人たちが、日本のいう事を聞いて、帆をひるがえして、早く帰り、日本が平和でありますように」というものです。同じ、22日には、伊勢神宮以下の22社の神社と、伊勢宮以下の11社の神社に日本の安全をお祈りされています。さらに、この年は、5月と、9月にも同じことを繰り返されています。このような孝明天皇のお心のうちは、天皇がおつくりになった和歌や漢詩からも知ることが出来ます。

「異人と共々払へ 神風や正しからずと わが忌むものを」(文久2年・御年32歳)

「伊勢の神風よ 日本を植民地にしようとして手を伸ばしてくる外国人たちとともに、「間違っている」と、私が嫌うものすべてを、吹き払ってください」孝明天皇は、「命がけ」のものだったのです。

「わが命 あらむ限りは 祈らめや つひには神の しるしをもみん」安政6年・御年29歳

歌の意味は、「私は命ある限り、祈りつづける。そうすれば、きっと神々も、私の祈りをお聞き届けてくださるに違いない」

実は、187年まえにも、日本を狙っていた外国勢がいたという事です。

さぁ。今の日本人も、そろそろ気づきましたね。心して、構えましょう。江戸時代の庶民たちも、きっと、「日本人の誇り」を持っていたことでしょう。乗り越えられないことはないはずです。日本人は、先祖のDNAを受け継いでいます。全員で、今こそ、日本人魂を守りましょう。和を以て貴しとなすですね。