「らんまん」は、実に破天荒な生涯なのに、元気をもらいます。

2023/08/29

牧野富太郎。現在の高知県高岡郡佐川町に生まれ、1862年(文久2年)4月24日生まれです。近隣からは「佐川の岸屋」と呼ばれた商家(雑貨業)と酒造業を営む裕福な家に生まれた。幼少のころから植物に興味を持っていた。元々はも「成太郎」という名であったが、3歳で父を、5歳で母を、6歳で祖父を亡くした。そのころ、「富太郎」に改名した。その後は祖母に育てられた。10歳より寺子屋へ通い、11歳になると、名教館に入り、儒学者伊藤蘭林に学んだ。福沢諭吉の「世界国尽」などを通じて西洋流の地理・天文・物理を学んだ。名教館は学制改革により、校舎はそのままに佐川小学校となった。そこへ入学するも、2年で中退し、好きな植物採取に明け暮れていた。酒屋は祖母と番頭に任せ、気ままな生活を送っていた。15歳から佐川小学校の「授業生」、すなわち臨時教員として、およそ2年間教鞭をとった。佐川で勉強するだけでは物足りなくなった富太郎は、17歳になると、高知師範学校の教師永沼小一郎を通じて欧米の植物学に触れ、日本中の植物をまとめ上げる夢を抱き、それは、自分にしかできない仕事だと確信するようになった。19歳の時、第2回内国勧業博覧会見学に行き、書類や、顕微鏡を購入した。1881年(明治14)富太郎の2歳年下の従妹と、祝言を挙げた。1884年、富太郎は、22歳の時、再び上京する。そこで、東京大学の植物教室に出入りを許可され、没頭する。1887年(明治20年)育ててくれた祖母が77歳で死去した。同じ年に、一目ぼれした、壽衛(すえ)14歳と、暮らし始めた。1889年、27歳で新種の植物発見する。「やまと草」~「ムジナモ」発見。

妻の壽衛は、(1873~1928年2月23日)55歳で死去 彦根藩主井伊家の臣の娘

子どもは、13人生まれたが、その内7人(3男4女)が成長した。次女の鶴代が、母が没後は父親の研究と生活を支えた。その孫である牧野一澚(かずおき)が、牧野記念館の学芸員をしている。

牧野富太郎は、1957年(昭和32年)に死去した。満94歳だった。

1958年(昭和33年)4月に高知県立牧野植物園が開園した。