2023/07/05
ほんとに早いものですね。もう、令和5年も半年過ぎましたね。うふふ。一年の折り返し点です。
「峠」(とうげ)という漢字は、日本で考えられたそうです。山の上りと下りの境目ということが、よくわかりますね。とんと昔は、峠や村の境に災いが入ってこないように、また、旅の安全を祈るために道祖神(どうそじん)を祭ったそうです。その道祖神にお供え物をささげた、つまり「手向(たむ)け」たということが語源になっています。「たむけ」が「とうげ」に変化したということです。
そして、私のお気に入りのブログに「ねむの木にピンクの花が咲いた」写真が載っていました。あぁ。そうか、この季節はねむの木に花が咲くよね。私は、このねむの木から、連想する思い出があるのです。合歓木と言えば、一番に思い出すのが、「ねむの木学園」なのです!そして、宮城まり子さんです。1995年1.17日の阪神・淡路大震災の前年に、精神保健福祉大会に行った時に、宮城まり子さんは、講演をされたのです。その帰路の時のことです。神戸駅で新幹線に乗る時のことです。私たちに「一緒に乗りましょう」と、声を掛けられたのです。「あぁ。残念です。私たちは、島根県です。下りです。」「じぁ。又、お会いしましょうね。」と、分かれたのです。そのことが、あまりにも印象的でしたので、社会福祉法人亀の子を創設してから、職員研修で、「ねむの木学園」に行ったのです。その時は、アポも取っていませんでしたので、「ねむの木学園」の周りをウロウロしていました。すると、「今日はお休みなのですが、ご案内しますよ」と、言われ、施設見学をさせてもらいました。ねむの木学園の「喫茶店」もありましたので、そこへも行きました。掛川の駅前には、お店もありましたので、そこへも寄ることがありました。
そして、偶然でしょうか、私の妹が掛川市で暮らしていたのです。
だから、今でも、妹の散歩コースのようですので、時々、ねむの木学園の佇まいを知らせてくれます。
そして、連想するのは、ねむの木の子守歌です。「ねんねのねむの木眠りの木♪そっとゆすったその枝に♪遠い昔の夜の調べ♪ねんねのねむの木子守歌♪」実は上皇后陛下の高校生の時の詩だったのです。
宮城まり子さんは、「美智子様は日本の母」と、生徒達に教えておられました。
「やさしいことは強いことよ」と、宮城まり子さんの茶室にお軸が掛かっていましたね。
宮城まり子さん、2020年3月21日に93歳でなくなられました。
お会いしたかった人でしたね。