1998年(平成10年)自死者数が、この年から多くなった。

2023/06/26

そして、このコロナ過の中で、コロナ感染者数が、毎日、毎日、新聞紙上にも、毎日毎日表示されていた。本当に、やれやれ、だった。やっとやっと、5類になってからは、全数表示がなくなり、ほっとしているところです。しかしです。新聞やテレビは、本当に困ったものです。毎日毎日、全数表示されることは、国民の不安感を増長するものでした。私は、新聞への全数表示にいつも、憤りを感じながらみていました。というのは、3年間でしたので、ずっと、全数表示から、3年でしたので、累計で計算されていました。私は、この表示のあり方にも文句を言っていました。というのは、3年間の累計なのですよ。本当に失礼なことです。というのは、上記の自死者の数の方が、毎年、1998年から1年間で、32863人なのです。だから、コロナの死者は、それから比べれば、3年間で死者は3万人だったのです。だから、私は、1年間の自死者の方が遥かに多かったのです。2023年-1998年=25年の間、いったい勿体、何故こんなことになったのでしょうか。

私は、コロナ過から、様々なことを学びました。どうも、日本の終身雇用は、時代遅れだと、政治家やマスコミが、古臭いから改革だ!!、正社員は、既得権ありすぎだ、非正規労働者を入れろ。「改革・改革」と、アメリカ式を盛んに言い出した。日本のサラリーマンは、古臭いと叩かれた。本当は、それまでの日本は、地域共同体は、人々の絆を結び付け、とても「つながり」を大事にしていて、1998年前は、自死者は、少なかった。そういえば、抜本的改革が必要だと言って、「改革。改革」と、煽っていたような気がする。

特に、郵政民営化になった時からは、ひどいものだった。その裏では、自立支援法も成立して、今までの常識が見事に通じなくなった。そのころからだろうか、社会全体が、不正をすると、ニュースでは、大変すみませんでしたと、頭を下げる上司の姿を見るようになった。そして、ここらあたりから、自己責任論が出るようになりだした。ならば、こうなった時代であるのなら、リーダーシップを取った、政治家たちは、全員で、このコロナ過の中で、反省して、国民に謝らなければいけない時期にあるような気がしてならない。

しかしです。ここ最近でしたが、NHKの教育テレビで、「100分で名著番組」で、堤未果さんが出られて、「ショック・ドクトリング」のお話をなさったのです。ショック・ドクトリングとは、日本語で言えば、「火事場泥棒」なのです。思考停止している隙に通常は反対されるような法律を導入して来るやり方です。そこで、日本人が、気づくことです。①違和感は「筋トレ」です。違和感をシャープして、とりもどす。②情報オフ・アンド「五感再起動」共感力を高める。共に過ごす。食事を共にする。

③あえて減速する。ゆっくりと過ごし、情報を消す。④選択肢を増す。全部キャシュレスにしない。

⑤京都人の視点で。応仁の乱以降のことね。100年後は、便利でないかもね。長いスパーンで物事を見る。⑥脱ゼロイチ思考。日本は間を考える。西洋人はゼロイチ思考。「間」「空」を。

⑦正しさより、優しさを、物差しにしよう。⑧モヤモヤしたら、イチ抜ける。(個人&市町村でね)

⑧意思表示をする。流されない。

民衆がショック・ドクトリングしよう。マイナンバーカードおかしいよ。コウロギ、おかしいよ。食文化を守ろうよ。市町村レベルで条例を策定しよう。

なんか、希望が見えてきましたよ。