八紘一宇の塔が、宮崎県の宮崎市の平和台公園に建っています。知っていましたか?

2023/06/20

実は、1940年の神武天皇即位(皇紀)2600年を祝うに当たり、国は紀元二千六百年奉祝事業として宮崎神宮の拡大整備事業として、「八紘一宇の精神を体現した日本一の塔」を建てた。しかしです。

戦後の1946年(昭和21年)にGHQの命により、「八紘一宇」の碑文と武人の象徴であった荒御魂(あらみたま)像が撤去された。塔内部の奉安庫に収納されていた秩父宮雅仁親王の揮蒙「八紘一宇」も撤去・処分の対象となったが、宮崎県職員によって秘かに運びだされ、宮崎神宮の倉庫内に隠れた。

1962年(昭和37年)に荒御魂像が、1965年(昭和40年)に「八紘一宇」の文字が復元された。1964年(昭和39年)9月10日には、東京オリンピックの聖火リレーのスタート地点となった。「世界平和を謳うオリンピックの精神と「八紘一宇」は同義」との意見が広がるにつけ、平和のシンボルとして県民に親しまれるようになる。

しかしです。戦後教育を受けた私たちは、今はほとんどの人が知らないでいます。

昭和39年頃の人々は、まだまだ、戦争体験をしたり、戦前の教育を受けた人が大多数でしたので、その「八紘一宇」も、当時の日本人は、みんなが、平和の象徴だと思っていたことだろう。悲しいかや、今の現代人は、全くと言っていいほど、GHQの戦後教育により、本当の真実の日本の歴史を知ることなく、今に至っている。実に悲しい限りです。

しかしです。目が覚めた日本人は、これからです。本物は日本人の魂を揺さぶります。