おはようございます。

2023/06/08

聖徳太子がなぜ聖徳なのか? 聖なる、あるいは徳が高い人なのかということです。『十七ケ条憲法』を彼が作ったことは知っていますね。第一条に有名な「和を尊べ」という言葉を使っています。

しかし、今の現代社会は、弁証法ですね。対立を作り出します。これは、西洋から来た理論です。

そこで、否定、肯定を組み合わせて議論することが、近代以降の議論の方法、考え方です。しかし、「和を尊ぶ」というのは、あいまいな言葉のように見えるけど、「和」とは、対立ではありません。

「和」というのは、同じ方向に向いて、否定ではなく肯定的に「あなたの意見は良い意見だけども、こうした方がなお良くなるのではないか」ということ、肯定的な弁証法と言ってもいいです。

一方、否定的弁証法というのは、「あなたはここが間違いだ。ここが違うぞ」ということで、否定してしまう。そして、「私の意見はこうだ」と、前の意見を対立的に葬っていくのです。もちろん、「あなたの意見のこの分は取る」ということがあっても、それがある意味で弁証法なのです。だから、相手を否定する。これは「否定弁証法」といって、戦後に特に流行りました。戦後、「こういう方法を取りなさい」ということで、教育されてきました。「アメリカの教育方法はこれだ」ということですけども、やはり不毛でしたね。

やたらに否定すると、言った人はそれに反論せざるを得ません。すると、永久に議論が対立していくわけです。裁判がそうです。こちらがこういうと、あちらは「そうじぁない」という風に、永久に対立しながら、裁判官が「どっちがいいか」ということで、裁判を下すわけです。このことが、実は、世界でも日本人の思想、思考方法として非常に重要なことだと思われます。

喧嘩をすることが、西洋では常態になっています。「西洋人は否定されるから、慣れている」と言っていますが、そんなことはありません。実は聖徳太子は、分かっていました。「否定するということは、人間にはよくあることだ。だけども、和を尊びなさい。和こそ大事なのだ」ということです。

私は、なるほどなぁと、考えさせられました。

世界を見渡すと、戦争、災害、貧困、飢餓、暴力、略奪、一時たりとも「幸せ」が存在しない。「平和」とは、ほど遠いと感じる。しかし、何故か、日本という国は、人々が、穏やかで、安堵して生きている。よく、テレビでやっている、「ぽっんと一軒家」の番組でも、誰も住んでいない、山奥の一軒家でも、心豊かに暮らしている人がいる。なんて、素敵な日本なのだろうと。感心する。

となると、我が国日本という国は、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の精神が漲っているのかもしれない。十七ケ条憲法は、推古12年(604年)制定です。ので、2023-604=1419年ですから、うふふ。1400年も昔のことでしたね。実はね、現代の憲法とは異なり、貴族や官僚など政治に関わる人々に道徳や心がけを説いたものなのです。1400年後の今の時代の政治家や官僚の方々も、道徳や心がけは、きっと守っておられることと思いますが、やばいかもしれませんね。