2023/04/06
私は、いったい勿体ない、いつごろから「相田みつを」を知ることになったのだろうかと考えてみた。
振り返って見ると、もう、とんと昔から知っていたような気がする。私の息子が、永平寺から修行して下山して来たときに時に、「正法眼蔵随聞記」をプレゼントしてくれた。1996年4月(平成8)だった。その時は既に、相田みつをのカレンダーや日めくりを持っていた。そして、相田みつを氏は、大正13年生まれで、18歳の時に、曹洞宗高福寺の武井哲応老師と出会い、生涯に渡り曹洞宗の宗祖・道元禅師が執筆した仏教思想書「正法眼蔵随聞記」を学んでいたことも知っていた。我が家が、曹洞宗なので、より、その思いは強かったのかもしれない。
実は、この亀の子を創設する前に、無認可共同作業所「亀の子村ファミリーワーク」を開所していた。
それは、1995年1月19日にオープンしたので、その時にも、既に、相田みつをの日めくりカレンダーをぶら下げていた。忘れもしないことがあった。当時、大田市にあった、国立大田病院の行く末のあり方検討会議があった。その時に、厚生省から派遣されておられた、健康福祉部長が、何度も、この国立大田病院について、大田市に来ておられた。そこで、ちょうど大田市にも、無認可の共同作業所があるなら、見学をしようと、御出でになった。そして、トイレに行かれた。すると、「あのトイレの「うん蓄の書」は、メンバーが書いたかね。」と、質問された。
私は、いやいや、メンバーも上手な人がおりますけど、「あの書は、相田みつを氏の書かれたものです。」と、披露したことがあった。あの当時は、作業棟がプレハブでしたので、部長は、「あんたはポロは着てても心は錦だね」と、言われ、番外に嬉しかった記憶が今も、甦ります。
だから、部長が厚生省に帰られても、何年か、「相田みつをのカレンダー」を送っていました。
実は、1996年(平成8年)9月19日に、東京中央区銀座に(銀座東芝ビル5階)阪急の5階に相田みつを美術館がオープンしました。私は東京出張の折には、いつも出掛けていました。
だから、東京の友達も、地方にいる私に電話が入ります。「森山さん。銀座に来ているんだけど、みつをさんの美術館は、何処ですか?」と、電話が掛かってきていました。と言うのは、阪急の5階なのですが、その「相田みつを美術館」は、専用のエレベーターでしかに、行けなかったのです。結局、7年後の、2003年(平成15年)11月1日からは、東京都千代田区の有楽町の東京国際フォーラム内に移転しました。
うふふ。ここへも、東京のお友達や恩人の方達と、出かけましたね。
今年のカレンダーも、1月は、一生勉強・一生青春 みつを【ライフロング、スタディー・ライフロング、ユース】
2月は、どうでもいいものは どうでもいいいいんだよ いちばん大事なことに 一番大事な
いのちをかけてゆくことだ みつを
3月は、自分の花 名もない草も実をつける いのちいっぱいに自分の花を咲かせて みつを
【マイ、ワンフラワー・どうも英語表現はピッタリしませんね。】
4月は、いのち あのね、自分にとって、一番大切なものは、自分のいのちなんだよ、だから
すべての他人のいのちが、みんな大切なんだよ みつを【英語版は不向きです。】