人間は死んで、肉体は消えても「魂」は残る。

2023/04/04

この言葉は、瀬戸内寂聴さんも、人々にお話をされる時に、「人間は死んでも肉体は灰になっても、魂は残ると思うんですよ。」としてきたと言われています。その寂聴さんは、福島県三春の福しょう寺の玄侑宗久氏の「アミターバ・無量光明」の書物を読み納得したと。その本には、肉体が消えても、エネルギーとなって残る。だから、「魂」をエネルギーに置き換えればいいことだったのです。だから、エネルギーは、幽霊として、出現するので、出現物といい、物理的にも高尚らしく、死んでも魂が残りますので、逢いたいときには、幽霊となって会いに来ることも可能だということになります。そして、肉体は滅しても、魂が残るという事は、実は、「死にざま」は、「生きざま」と言われる由縁です。何故かと言うと、現代人は、死ねばおしまい。ゼロだと。無関心の人が出て来ています。大間違いです。特に日本人は、神仏が身についていますので、神様にお祈りし、仏さまに合掌します。

だから、肉体が滅しても、魂を磨いて置かないと、悪霊となって、四次元の世界をさまようことになります。さまよわない為には、どうも、「魂」を磨くことをしないといけないようです。という事は、生きている時に、肉体は、心身一如(心と体が一緒です)ですので、その肉体、身体の自尊心や自己肯定感を傷つけては入れないのです。

しかし、今の現代人は、つい、言葉遣いをぞんざいに扱っている人がいます。私もです。普段から、「よいしょ。」とか、「この間話したやつ」「○○さんが使っていたやつ」とか、「やつ」と、使っていませんか。実は、ネガティブ発言なのです。家族や職場、友人も傷つけたり怒らせたりしているのです。だから、何気なくネガティブ発言をしていると、自尊心や自己肯定感をなくしてしまっているのです。だから、普段から、言葉は大事なのです。

魂を磨くという事は、本当はとても大変なことなのです。自分の命の尊厳も、結局自分自身が、命の尊さを守っていく事だと、思います。それを、人任せにしないで、「自分自身が、自己を見つめ、尊い命に灯りを灯すことです。」そして、それが、自灯明だと言えます。それは、人が見ていようが、見ていまいと、自分に灯りをともす。

それが、自尊心であり、自己肯定感を高めることになります。