嬉しいことに、「多胡辰敬の本」が届きました。

2022/12/05

いやはや、戦国時代の前の応仁の乱の頃の出来事から、多胡家が邑智郡中野の余勢城から始まっています。凄いですよね。大森銀山の争奪戦で、とうとう、毛利が石見銀山を争奪し、尼子勢だった多胡辰敬(たごときたか)は、大田の久手の岩山城で自刃して生涯を閉じた。その多胡辰敬の建てたお寺が、久手の円光寺なのです。凄いでしょ。ずっとずっと、地続きで、現代の令和の時代にもつながっているのです。

応仁の乱は、人の世のむなし、1467年~意志むなし(1477年)だから、令和4年(2022年)、555年も昔のことなのです。実は、我が家のお寺も、応仁の乱後に、出雲の神西の十楽寺の末寺として、お寺が山の上に建てられたようでした。登って見れば、石垣がついてあり、その面影が残っています。

お寺ですので、諸行無常は、常ですし、諸法無我ですので、世の常は移り変わり行くものなのです。

世の中は常ならず、世の中のすべてのものごとは、つながっていて個として独立しているものはひとつもない。お互いに影響をし合う。因果関係によって成り立つ。だから、一瞬を大切に、一生懸命だよ。

すべての事柄が、無我は、私はないよ。自分一人の存在だけで生きて行けないよ。自分にこだわらない。

だから、今は令和の時代を迎えています。そして、新型コロナウイルス感染症が、蔓延し、移動が難しくなり、東京五輪が合ったり、移動の制限があったり、コロナワクチンを接種せよと、言われたり、でも、世界は疲弊してしまいましたね。コロナ感染も感染力も低下したり、経済が落ち込んだら、人間社会、行き詰ってしまいます。もう。そろそろ、経済も活性化し、人の行き来も回復にと。動き始めましたね。

 

さぁ。日本人は、もともと、賢い民族なのです。平安時代のには、手習いの手本としての「いろは歌」にも、現代にも伝わっていますね。

『いろはにほへとちりぬるを わかよたれそ常ならむ 有為のおくやまけふこえて あさきゆめみし酔いもせず』

勿論、「平家物語」の一節は、日本人なら誰でも、口ずさみます。

【祇園精舎の金の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。たけき者も遂には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。】