「かんがえてばかりいると日がくれちゃうよ みつを」

2022/12/01

師走の月になりました。12月のカレンダーの言葉です。

2022年寅年が、後1ケ月で終わってしまいます。本当に、今月の号の「かんがえてばかりいると、日が暮れちゃうよ。」は、本当ですね。ほんに、過ぎ去って見れば、「あっ」と言う間ですね。でも、一人一人、みんな同じ時間を過ごしてきたのは確かですね。私とあなたは、時間の長さが違いますという事は、けっしてないですよね。赤ちゃんも、お年寄りも、一日の時間は、同じですよね。うふふ。でも、ゼロ才の赤ちゃんと、100才の人と比べると、不思議ですよね。時間の長さが違うように思えてしまいます。でもね。我が家には、もう20年前かな。明治生まれのばばちゃんがいました。足が立たなくなり、寝たきりのような状態になりました。それでも気丈なばばちゃんは、横になっている状態でも、お経を唱えていました。そして、わらべ歌も歌っていました。良く歌っていた歌は、「かごめかごめ」や「さくら」「通りゃんせ」「桃太郎さん」「里の秋」「こいのぼり」「十五夜お月さん」「カモメの水兵さん」「どんぐりコロコロ」等々。

結構、色んな歌を、私は一緒に歌ったような気がする。私は、あの当時は、確か40代前半だったような気がする。素敵な、ばばちゃんだったので、私は慕っていた。寝たきりになる前にも、ばばちゃんが育った時代背景に興味津々だった。だから、ばばちゃんに、なので「ばばちゃんの生き様を、根掘り葉掘り、聞いていた。」今思えば、良く付き合ってくれたなぁと、感謝でいっぱいになる。だから、とうとう、ばばちゃんが亡くなって、3回忌の法事の時に、ばばちゃんの本を出すことが出来た。題名は「鶴」として、仕上げた事があった。あの時にも、確か、晩年のばばちゃんの姿を見て、歳を重ねると、子どもに帰るかなと書いた。

ばばちゃんは、太陽が昇れば、合掌して拝み。夜中にお月さまが出れば、合掌して拝み。夕方には、いつも、日課のように「お大師堂」にお勤めしていた。

とても、素敵な生涯だったので、そう思ったのかもしれない。

しかし、不思議なことだ。歳を重ねると、過去の自分は、ちゃんと過去の時間を生きている事が解るし、その過去の時間も、とても大事な時間だったことが分かる。となると、人は、だれでも、無駄な時間を生きていることはないのだ。子どもの時の時代も、思春期の時の時間も、青年の時の時間も、更年期の時の時間も、還暦の時の時間も、喜寿の時の時間も、みんなみんな、かけがえのない時間なのだという事が解る。