2022/08/24
人生の不条理に向き合う。それが、壁となって、立ちはだかる。しかし、この壁は、浄土に向かう点なのだと気づく。つながりの中の点で、必ず通過するものだ。持ち前通りに死んでいくことに気づく。ありのままに死んでいけば、死は不条理だが、それでも構わないよという事に気づく。浄土に旅立つことは、人間の煩悩が浄(きよら)かになること。そして、仏になる。
という事は、死という「壁」が点になる。
「生老病死」は、お釈迦様が最初に出会われた、4つの人生で避けることのできない根源的な苦しみのことを意味する言葉です。そして、四苦八苦という言葉も「生老病死」ですね。
生苦: 生きる苦しみ
老苦; 老いる苦しみ
病苦: 病む苦しみ
死苦: 死ぬ苦しみ 四つ苦しみは、八つの苦しみなのです。
老いることや、病気にかかる苦しみ、また誰でも死ぬという究極的な苦しみは、どれだけ頑張っても今の科学では乗り越えられない、「思い通りにならない」ことの代表と言えます。
老化防止、病気の予防などどれだけ徹底しても、老病死を避けることはできません。
となると、避けては通れない人生なのですね。
となると、中村元の原始仏教の思想(山陰中央新報のコラム)
の中に、『(我らは、この世において死ぬはずの者である)と覚悟をしよう。ーこの断りを他の人々は知っていない。しかし、人々がこの事を知れば、争いはしずまる。』
よく生きることと、よく死ぬこととは、表裏の関係にあるのである。『学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。彼の肉は増えるが、彼の知恵は増えない』
日本の我が国の先人は、実に素晴らしい。
「いろはかるた」も江戸時代の中期に始まったとされているが実に面白い。そして、「色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ、有為(うい)の奥山今日越えて、浅き夢見し酔ひもせず」(涅槃経)という仏教精神を和文で表わしている。
実に、我が国の、日本人は、こうして、古代からつながった命をいただいているなぁと、実感できる。