ようやく帰りました。何事も一つ一つ、丁寧に生きて行くことですね。

2019/12/22

我が家に戻りました。今日は「冬至」なのです。一年の内で、昼が最も短く、夜が最も長くなる日。この日に南瓜を食べたり、お豆腐を食べたり、ゆず湯に入って無病息災を願う風習があります。もう長年そうして、日々の暮らしを、偲びながら暮らしてきました。子どもの頃には🧒そんなことは、露も知らず日々を過ごして居ましたね。本当に摩訶不思議なものです。歳を重ねると、なぜか日々の生活や暮らしが愛おしくなってきます。お嫁に来た私は、お里の祖父母や両親や妹弟や叔父叔母や従兄弟・従姉妹のことが偲ばれます。この年を迎えた私は、もう、すでに、阿頼耶識のあの世とやらに逝かれた方達が大勢になってしまいました。私もいずれは、行かせて貰えるところなのですが、そして、嫁いできた、今の我が家も、もう、50年を迎えようとしています。お寺での行事も、ひとつひとつ丁寧に取り組んできました。本当に、ようこそようこそ、ありがとうございます😊です。さてさて、次にバトンを渡すためにと、「ゆず湯」にと、我が家になった柚子を、バケツに採ってきた所です。昨日までは、連れ合いの理事長が、検査入院でしたので、広島にいました。検査の結果、年を明けてからの2月に入院をし、手術をしようと計画したところです。これで次の予定が立ったところですので、一安心しました。なので、昨日は、ご褒美にと、福屋の八丁座映画館にて、二人で映画観賞をしました。亀の子 で、研修旅行に、広島方面でしたが、その時に、一畑バスの中で、「この世界の片隅で」のDVDを観賞して行っていたのです。その続編でニューだったのです。それも、発売日だったのです。凄いでしょ❗️ラッキー🤞だったのです。理事長は、「アニメか、本当は寅さんがいいけどなぁ!」なんて言っていましたが、観終わってからは、とても感動していました。また、不思議なことに、映画が終わると、皆んなが一斉に拍手が👏巻き起こりました。いつもの映画の時は、「シーン」なのですよ。「この世界の(さらにいくつもの)片隅で」私は、本当に凄いなぁ!一人一人の命の出会いが、ちゃんと、あるのだなぁって、昭和19年、18歳になった「すず」にすずに、突如縁談の話が持ち上がる。相手は20キロも離れた軍港の街、呉に住む海軍勤務の文官・北條周作。朝日町の遊郭「二葉館」で働く女性、白木リン、この二人の出会いが、「私があなたである可能性」の物語が、次々に広がる。「戦争でのうても人は死ぬ」生者の中に死者の可能性を見る。生老病死の生が終わって死が始まるのではなく、生が終われば死も終わる。死は生に包まれていて、生と同時にしか実在しない。

いやはや、人の一生の、出会いの織りなすご縁のつながり、まさに縦糸、横糸で紡がれていく人生って、すごいなぁと感動ものでした。それも、誰もが、ちゃんとちゃんと繋がっているのだと改めて、命の尊さを感じる事が出来た。