脚下照顧(きゃっかしょこ)禅語です。

2022/05/23

我が家の御寺院用玄関に、脚下照顧の標札に、ふむふむ地蔵と笹ゆりを飾ってあります。今朝のことです。笹ゆりが花開いていました。

脚下照顧は、「自分の行いを良く見なさい」「自分の足元を良く見なさい」「自分を見失ってはいけない」そして、転じて、「履物を揃えて脱ぎなさい」と、徹底しています。要は、玄関は、顔ですので、いつも、綺麗に整えておきます。

とんと昔のことですが、子どもが未だ小学校の頃の事です。子どもたちが玄関から入ってきます。すると、遊びに来た子どもたちは、自分の靴をちゃんと揃えてあがります。しかし、子どもたちが遊んで帰った後は、必ずや、トイレのスリッパが崩れています。あっ。そうか、今日は子供たちが遊びに来ていたからね。っと、気づきます。私も、長い事、この福祉の仕事をしていますので、本当にいろいろな事に、気づかせて頂きます。玄関は、非言語コミュニケーションの場ですので、玄関を見ただけで、どんなコミュニケーションを取ろうかと考えます。

まさに、コミュニケーションのツールが溢れているのです。

私は、特に禅語が我が家には溢れていますので、全て、意味があるので、より、面白く楽しくなります。

先日の21日は、弘法大師空海の命日に供養の法要と、大般若法要を無事に済ませました。その時のお花を、実は我が家の周りの山野草を活けたのです。玄関だけは、JAグリーンセンターで芍薬を買ってきて、活けました。その事を、お友達にお話をしたところです。すると、その友達からは、「いいねぇ。野に咲く花の美しさには敵いませんねぇ。」と、返事がきたのです。本当だなぁと、感じましたね。野に咲く花は、消えることなく、3000年も4000年も生き続けています。自然な素直で、あるがままに生きていて、あれこれ考えて、自分を縛ることなく、今を精一杯生きています。うふふ。今年は、笹百合がいっぱい蕾をつけていたのです。コアジサイも咲いています。笹ゆりは、私も採ってね、私もねと、声がするのです。もう、採れないくらいに採ったのです。