いやはや、歴史を辿ると、昔の人の想いにふれますね。

2022/05/17

私は、「知らで見ば富士と言わむや石見なるさひめが嶽の雪のあけぼの」は、西行法師が詠んだものだと信じてきました。しかしです。私は、何冊も、石村勝郎氏の本を持っていたのに、ちゃんと読まずにいたのでした。いやはや、その書物には、はっきりと偽作と、書いてあります。もう、ビックリでしたね。それも、何故偽物かの理由も書いてあったのです。エピソードも添えてです。いやはや、参りましたね。その書物には、既に、290年前のことですが、その頃の大田人は、偽物だという事を知っていて、その歌を重宝して、現代の私達にも伝えて来られているのです。と言うのは、弘法大師が詠んだ歌は、源平の動乱期に、陸奥の国に入り、奥州の藤原氏に会うために、岩木山を見て、歌っています。

「ふし見てもふしとやいはむ みちのくの岩城の山の雪のあけぼの」

「富士見ずばふじとやいはむ みちのくの岩城の嶽をそれと眺めむ」

この歌を、1189年奥州に向かっていますので、そのころに歌ったものです。

西行法師は、1190年に河内国で、73歳で亡くなっています。

となると、290年前となると、1732年と言うと、江戸時代の丁度、井戸平左衛門さんが、石見銀山の代官さんとして、赴任された頃となります。すると、あの頃の大田市は、徳川幕府の直轄領として、「天領地」として、栄えていたことになります。大田は、宿場町として、栄え、どうも風流人が、沢山いたことになります。という事は、1732年-1189年=543年前の事を、大田の風流人は、知っていたことになります。いやはや、凄いなぁと、唯々、感心してしまいます。本当に恐れ入ります候です。草葉の陰で、「現代人よ。もう少し、思慮深く、丁寧に生きよ」と、示唆されているように思います。温故知新でございました。