知らで見ば 富士と言わむや 石見なる さひめが嶽の 雪のあけぼの

2022/05/02

西行法師の歌があります。

私は、この歌が、もう昔から、大田の神田橋の所に、この歌が歌碑となって建っていたのです。そして、西行さんと言って、雪見の真ん中あたりに、川の側に、「社」が建立してあったのです。今でも、この「雪見の西行祭り」があるのです。私は、長久町ですので、私が小学校頃には、水板と言って、田んぼの水を充てるのに、その板に、名前が書いてあり、順番に、水回りをするのです。その最終場所が、西行さんだったのです。実は、西行法師は、平安時代のえ終わりごろから、鎌倉時代の初めの僧侶なのですが、実は、西行さんは、この辺りに座って、「知らで見ば 富士と言わむや 石見なる さひめが嶽の 雪のあけぼの」と、歌われたのです。「あぁ。あの「さひめ山=三瓶山」は、知らずに見ると、富士山のようだ。雪がかかっている姿は、富士山のように美しいことだ。」そうだ、ここは石見の国だが、この村は、「雪見」にすればいいとなり、雪見となり、西行さんがここで詠まれたという事で、西行さんの社が建てられた。

実は、もっともっと、昔に、飛鳥時代頃に、この大田の町を拓いた豪族がいたのです。その豪族が、大田川から、水路を工夫して、大田の町や長久町に水路を整備して、水を運んで来たのです。その水路が、既に出来上がっていたのでしょうね。実は、その証拠が、昭和20年代に大田の立花の私の親戚の叔父が発見したのです。その証拠と言うのは、立派な剣が出土したのです。(島根県立歴史博物館に保存してあるはずです。)そして、あの飛鳥時代に大田という名前を付けたのです。大きく開いた田んぼに水が当たりますようにと、大田の地名をつけたのです。うふふ。素敵でしょう。私は、いつも思うのですよ。私達が、こうして今、暮らせていることは、先達が、未来の人々が暮らしやすい町になるようにと、いろいろ工夫してくださって、ずっとずっとずっと、願いを込めて、来られて、今に繋がっているのだなぁと、つくづく実感しますね。となると、今の現代人、当たり前のように、知らん顔して暮らしていますが、とてもとても、先達の方達に無礼なことでしたね。今朝の朝礼でも、皆様にお話をしたのですが、知らない人達ばかりでした。やれやれです。悲しいですね。