2022/02/22
そうなんです。竹島の日なのです。竹島は、歴史的にも地理的にも、日本固有の日本の領土なのに、お隣の韓国のお国は、自分の国の領土だと言っています。
私は不思議なことだなぁ。何でこんなことが起こるのか不思議でたまらなかった。
私は、その謎々が、最近分かったのだ。日本で起きた史実を知ることができた。
いやはや、凄い真実の歴史だった。何故、私達日本人は、真実の歴史を学んで来なかったのだろう。遡る事、748年も前の事だ。日本は、今、大河ドラマをやっているが、鎌倉時代のことだった。最初の戦いは、モンゴル帝国のフビライの時である。フビライと朝鮮半島の忠烈王が「日本の愚民を成敗したいと言い、」1274年11月に、博多に攻めて来た。その時の戦闘は凄まじく、対馬・壱岐の列島は、根こそぎ攻められ、おんな、子供は、捕らえられ、おんな子供には、手のひらに穴をあけ、繋がれて、奴隷として売り飛ばされた。男は、山の中もくまなく探され殺された。そして、博多にやって来た。酷い戦法で日本軍は、散々だった。モンゴル軍の副司令官の劉復亭が戦闘で負傷し、疲弊した兵士が出たため日本から撤退した。夜間に撤退しようとしたところ、暴風雨に遇い、損害を出したようだ。そして、7年後、北朝鮮王の忠烈王が、1281年にやって来た。何と、兵士は15万人にも上っていた。しかし、日本軍は、ちゃんと、文久の役後、異国警護番役の拡充をし、防塁として石塁の設置を浜全体に整備した。だから、攻めて来ても、石塁からは、中に入る事は出来ず、兵馬も使えぬ状態だった。見事な水際作戦だった。6月~8月に来たので、1ケ月以上も滞在すれば、疲弊してくる。万全の対策が功を奏した。また、「神風」が吹いたと歴史では、習ったが、何て言うことはない、丁度台風シーズンだったと言える。
「朝鮮人による侵攻」の実態を知ることになった。日本と朝鮮の関係は、今も根拠のない「加害者である日本と、被害者である朝鮮」という構図は、実は全く逆の構図が存在していたことに、気づいた。何故、日本は、本当の真実を伝えないのか。どうも、戦後の左翼学者や教師が、まだまだ、日本の現在にも存在している事らしい。
なるほど、朝鮮人の歪んだ精神と思想は、全く違う民族だという事が分かった。
そんな全く違う民族の方と、どんな風に、付き合うのか、歴史の真実を知った日本人は、先人達の「水際作戦」を学び、価値観の違う民族には、どう対応するのか、賢くなる必要があるようだ。政治家達に任せるのではなく、国民一人一人が、賢くなる必要があるようだ。