「歴史を学ぼう」にて、お話しをしました。

2022/01/26

「いも殿さま」土橋章宏著書を、求めて読んでいたので、今日は「いも代官・井戸平左衛門」のお話をすることができた。実は、この「いも殿さま」は、大田市長の楫野弘和氏の解説が載っている。えっ。どういうこと。興味津々で読んだところです。すると、映像化熱望!!と、書いてある。今も愛される「名代官」と。

先ず、解説を読んでみると、ふむふむ。井戸公と大田市の繋がりで、石見の民を助けていただいた功績を讃えて、功績を讃える「頌徳碑(しょうとくひ)」は島根県石見地方では「いも代官」として、石見だけでなく、中国地方にも、その「頌徳碑」は、五百基以も点在している。私も、身近に、その石碑の存在を知っている。そして、神様となった井戸公は、井戸神社が大正五年に大森の現在の位置に再建され建っている。

鳥居の偏角は、勝海舟が自筆したものです。再建に当たっては、地元はもとより、桂太郎総理大臣をはじめ、各国務大臣、財界からは、渋沢栄一氏などの有力者からの寄付が寄せられています。

この再建にあたって尽力した地元の一人は、当時衆議院議員であった、恒松隆慶(つねまつたかよし)氏で、なんと楫野市長の曾祖父の弟さんなのです。私達大田市民は、恒松りゅうけいさんと、言っていました。以前の大田市駅には、大正時代に大田市駅(当時は石見大田)を、この大田市に山陰線を通過させた、代議士の御尽力だったのです。だから、駅前には、恒松隆慶氏の石碑が建立され、お祭りも有りました。

今は、大田市民会館の広場に鎮座され、お祭りも施行されています。

うふふ。凄いですね。私達のご先祖様達の、実績ですね。有難いことです。

となると、こんなに身近な、私達の暮らしの中に存在する、先人達の生きてきた実績を、ちゃんと、今生きている我々は、知らないといけませんね。だから、報恩感謝して、そのご恩に報いたいものですね。

地元の、歴史を知ることにより、私達は、未来に向けて、未来の子ども達に、バトンタッチをして行くことですね。

今日は、亀の子のメンバーも、地元の事でしたので、全員、みなさん、しっかり聞いてくれましたね。

とてもとても、嬉しかったですね。