1945年のクリスマス・ベアテ・シロタ・ゴートンの書物を持っている。

2022/01/25

私は、2001年5月12日に「Beate Sirota Gordon」のサイン入りの「書物」を持っている。

実は、日本国憲法は、GHQが終戦直後に日本に入り、マッカーサー元帥の元で、GHQのケーディス陸軍大佐・ベアテシロタゴートン女史等と密室での九日間で作成されたものだったのだ。

実は、本の中に、「エピローグ ケーディス大佐と日本を訪れてー1993年3月のページには、その当時、ケーディス大佐は、83歳、ベアテさんは、69歳と書いてあった。

ベアテさんは、1945年の年に22歳であった。となると、ケーディス大佐は36歳になるわけだ。

我が国日本は、日本国憲法は、GHQによって、書かれたものであるのに、我が国日本は、何故、日本国憲法を自国の手で、日本国憲法を作成できないでいるのであろう。特に、平和憲法の第9条は、戦争放棄と謳い、今は、北朝鮮、中国、韓国、ロシアと、脅威に迫られているのに、「平和憲法」にすがっている日本人がいる。 こうして、書物も出されているにも関わらず、動けない日本は、何故なのだろうと、不可解に思う。  私は、戦後、強くなったのは女性と靴下(ストッキング)と、言っていたことを思い出した。

そして、あの終戦後に、ベアテさんばかりでなく、日本の女性も、必死で生きていた。その女性は、GHQケーディス大佐の愛人だった、鳥尾鶴代さんだった。鍋島重子さんも、ラウェル大佐と愛人同志だった。

アメリカ兵は、華族に憧れを持っていた。伊藤博文別邸も進駐軍に使われていた。

鳥尾鶴代さんは、ケーディス大佐と、別れてからは、銀座で「マダム鳥屋」をオープンし、「おとこの味」「私の足音が聞こえる」をマダム鳥尾で本を出している。

何故、鳥尾鶴代を使ったのかは、あの当時の楢橋渉は、弁護士で、政治家。GHQへの性接待パーティーを実施した。進駐軍専用のRAA(特殊慰安施設)が、銀座松阪屋に地下室に作られた。「オアシス・オブ・ギンザ」、当時作家の高見順(作家)が行って見ると、日本人は入るな。占領軍だけですよ。

あの当時、プレスコードでしたので、報道は無しでした。売春宿も有りましたね。赤線とも言っていました。となると、敗戦当時は、いやな日本でしたね。

赤線廃止は、売春防止法が1956年制定されましたが、1958年3月までに一斉に廃業になりました。しかし、今になっても、形を変えて秘かに風俗営業が続いているのは事実ですね。

面白いことには、女性の書く回顧録は、女性は本当の事を書きます。真実を語るのが女性です。

男の回顧録は、不思議ですね。男は自分を誇張して書きます。男性は捏造してまで、自分を誇張するのですね。

うふふ。面白くなりましたよ。真実の歴史が見えてきました。日本近代史の一ページです。