感謝の心はそのまま幸福。不足の心はそのまま不幸。

2021/12/06

私は、いつも、摩訶不思議だなぁと、思っていました。日本人は「金」の事を大きな声で言うのを、昔から、遠慮し、「金・金」と、言う人を嫌い、「守銭奴」を嫌ってきた。だから、小さい頃から、「金の切れ目は縁の切れ目」といい、お金のことを言う人を煙たがり、「金・金」と言う人には、近つくなと、諭されても来た。子どもながらに、「お金」は、「怖い魔物」だなと、薄々感じていた。「嘘つきは泥棒の始まり」と言って、戒められていた。だから、この年になっても、その思いは、体に染みついているのが、日本人なんだと。

それなのに、どうも、西洋人や中国人のエリートの人達は、「お金」と「権力」を手にすると、傲慢になり、立場の弱い人を、平気で脅したり、けなしたりする。過去の世界史にも、1940年から1945年にかけて、ドイツが占領下においた現在のポーランド南部オシフィエンチム市郊外に作られた、「アウシュヴィッツ強制収容所」である。ユネスコ世界遺産に登録されている。

私は、「不要な役に立たない人間」を殺す。おとなしい羊に仕上げる寸法か?

何故、そんなことを平気でするのか、私達日本人には、考えられないことなのだ。どうも、昔から、そういうことを平気で考えられる人間さまなのです。

日本では、考えられないことなのです。

だから、私が、感謝の心は、そのまま幸福。不足の心は、そのまま不幸。は、もしかして、日本人だけに、通用するのかも、しれない。

現実のこの地球上でも、争いが、絶えず、巻き起こっている。

悲しいかや、どうしたら、世界平和が訪れて来るのか。

人類は、考えね時が来たようだ。