「日本人を肯定する」~近代保守の死~の書物を読んで。 

2021/09/30

作者・田中英道先生の書物が手に入った。いやはや、日本人の仏教と、西洋人神道の違いが、なるほどなぁと、気づいたところです。聖書に言うように、楽園で神が取ってはいけない禁断の木の実を食べたイブとアダムを追放するエピソードは、日本人にとっては、到底不可思議な話に感じられます。このエピソードは、ただ神との約束事を違えた裏切りの意味だけではなく、これは裸の二人が性行為を行ったことを罪とする意味をもっているというのが、真の意味です。絵画でも二人が裸体で描かれ、その姿に羞恥心を感じる場面が描かれます。しかし、元々、性行為は自然の行為です。快感を感じられ、子孫を増やす自然から与えられた行為です。それを否定するような、この原罪観は到底、日本人には受け入れられません。家族というものが非常に大事だという認識が、日本には一貫として存在しているからです。父母、子ども達、兄弟姉妹、さらには祖父母とともにある家族が、社会の最小単位です。その愛情関係が道徳の基本となります。これは全人類共通なことです。人間は母から生まれ親と子の愛情が人を育むのです。日本は家族のあり方として、母系制が強いとされています。神話ではアマテラスがその象徴となっています。これはまず、日本の風土が、女性でも平和に暮らせるものであるという前提があるからです。これまで、このような社会を原始共産制と呼び、マルクス主義では歴史の最初の段階とされましたが、それはあやまりです。日本のように、徹底して島国の中で自然に恵まれていると、母系制が可能となるということになります。しかし、それはある時期までで、初代の神武天皇の時代、つまり、天つ神から国つ神の時代に移った時に、父系制に変わり、以降は一貫して父系制となります。母系制は近親相姦が生じやすい体制です。日本でも「天孫降臨」以前の「高天原時代」は、イザナギ、イザナミのような兄・妹婚が許された時代でした。その時代にあったと想定される日高見国は、近親相姦を許した、それが当たり前だった時代がありました。それはすでに述べたように縄文土偶の姿にあらわされています。そのイザナギ・イザナミでさえも仲違いし、イザナミは黄泉の国へ行ってしまいます。そして、このことは、近親相姦の時代が終焉し、母系制社会が終わったことを意味します。

イザナギが一人で、アマテラス、ツキヨミ、スサノオをつくります。通い婚をしたことを示唆しているようです。これは、つまり、日高見国の時代に男系という概念がはっきりしてきたということです。

天孫降臨で、関東から九州にやって来た人達が、日本の西半分を支配し、日本を統一したとき、つまり初代神武天皇の時には完全に男系となります。男系がいちばん自然に家系を守るやり方であるという認識を人々が共有したということです。ここに初めて、天皇という存在が確立し、万世一系となるわけです。天孫降臨以降の神武天皇の時代から、近親婚は禁止されるのです。

フロイトま心理学の研究においては、家族は夫婦が中心であり、子どもは二次的な存在であるという考え方がきほんです。キリスト教文化の西洋では、常に家族は夫婦より二次的な関係で、分解に向かう傾向が強くなります。

日本人は、子どもという存在を非常に大切にします。母と子という関係を第一と考えます。

母親に密着した人間関係は自然なことであり、これは子が男性だろうが女性だろうが変わりません。

母親に執着する男性はマザコンなどと言われて、問題視されるようですが、それは西洋的な立場に立つものです。

日本人は、性というものに原罪感を感じません。自然の一部だとして肯定するのです。ですから、性行為に対する考え方も、肯定的です。浮世絵に春画がある、というのも日本だけの現象です。巨匠の北斎、歌麿まで、恥かしげもなくこれを得意としました。そこには、同じ自然の行為として、他の場面と区別をつけません。

だから、西洋や中国における家族とは違います。日本も戦後、西洋人の影響を受けて、彼らを真似することが良いように教育されてきましたので、