お早うございます。残暑お見舞いがきました。

2021/09/01

嬉しいですね。大都市園の先生からです。その先生からは、『島根と鳥取のコロナ感染者がいつも少なくて、やっぱり日本の中で、一番いいところなんだ !! と、思っています。しかし、この夏は、雨の災害で、気が休まらなかったでしょう。私は、10月に兵庫県連の仕事で、神戸に行きますが、コロナがどうなるか、先が見えないところです。どうぞ お元気でね。皆様によろしく !! 』和紙のハガキに、茄子のちぎり絵が施してありました。うふふ。なんか、有難くて、心が温かくなります。人間ってやっぱりいいなぁってね。そして、8月31日の山陰中央新報の「こだま」蘭です。出雲市の80代の男性の方でした。終戦が昭和20年ですので、その方は、戦前生まれの方でした。そのタイトルには、「耐えることを忘れた人たち」と書いてとありました。その分面も、なるほどなぁと、合点が行くことばかりでした。「私達の国は、いつからこんなに「こらえ性」のない人だらけの国になったのでしょうか。農耕を生活の糧にしてきた私たちの先祖は、大自然の驚異と死闘を繰り返しながら、自然の持つ豊かさと恐ろしさを学び、それを巧みに利用する知恵を身に着けてきました。その知恵のひとつが「耐える」ことでした。過酷な自然を相手に先祖は、「自然に寄り添う時」と「自然の猛威にじっと耐える時」とを学び、自然を味方に取り込んで利用することを身につけてきたように思われます。今、新型コロナウイルスの陽性感染者数が、ついに一日二万人を超えるという、かって想像もしなかった悪夢が現実のものとなってきています。特に、大都市園での感染者数は、日を追って増加し、緊急事態宣言やまん延防止策や人流抑止の要請が矢継ぎ早に発せられても、「収束」という二文字は見えてきません。こうした事態に「今や災害時に近い局面」と警告を鳴らし、このままの状態では、やがて医療現場の破綻を招き、自宅療養中の死亡者も急増する、と行政担当者の悲鳴に近い声が耳に入ってきます。「こらえ性」のない人たちはどのようにこれをきいているのでしょうか。

「収束」という文字を国民すべてが現実のものとして実感するためには、自然をうまく利用しながら、時に「耐える」ことでそれを乗り越えてきた先祖の知恵に改めて学ぶ必要があるように思えてなりません。今ある事態は、「こらえ性」のない人たちが招いた人災、と先祖たちは怒りのこぶしを振り上げているかもくれません。

なるほどと、切に思ったところです。そして、私が感じていることは、やっぱり、日本国の「国益を」を守っていくのに、この状態でいいのか、リーダーシップの取り方に問題があるように思います。リーダーシップとは、この緊急事態宣言を発礼したという事は、我が国にとって、一大事です。こんな時こそ、我が国のリーダーシップがしっかりしていれば、何を一番にすべきが、自ずとリーダーシップが示されるはずです。しかし、残念なことに、我々国民が、選挙にて当選させた、議員さん達は、案外、自分だけの「利権」だけに、目が眩み、どうも期待外れだったようです。

もしかして、国民ひとりひとりが、目を覚ます時がきたようです。幸い我が国は、自由に発言出来ますので、「物は申して」我が国のあり様を、一人一人が、真剣にかんがえていきましょう。