2021/08/30
「みんな 違って みんないい」金子みすゞ(1903~1930)明治36~昭和5 もう、100年ももっと前のことですね。100年も前のことです。我が国は、明治から昭和の時代であっても、金子みすゞさんは、「みんなちがってみんないい」って、ちゃんと知っていたのですね。そして、あの時代の人々は、みんなみんな、そうだよ!みんなみんな、違っていいんだよ。って、ちゃんと知っていました。私達は、昭和の戦後生まれの人々が、大多数になりました。そうですね。戦後76年経ちましたが、いかがでしょうか。大方の人々は、「みんな違ってみんないい」は、皆さん、全て頭では分かっています。しかし、言葉だけが先行し、実態はどうも理解できていない人が現われて来ています。何故、そんなことに成ってきたのでしょう。私は、そこいら辺を私なりに考えてみることにしました。
実は、お寺では、我が家は曹洞宗でノすので、法要がある時には、必ず、五色の旗を正面の向拝(ごはい)の柱に結ぶ。緑~毛髪・黄~身体・赤~血液・白~歯・紫~袈裟の五色
つまり、五色すべて集まると、それはお釈迦様そのものです。
異常だって、正常さ~色覚異常の目で、普通に生きて行く~
多くの人々が、他者のことを、「自分と違って当たり前」だと、思えたらならいいですね。
イタリアの「DA Vicino Nessuno E’ Normale 」 ダヴィチーノ・ネッスーノ・エ・ノルマーレ
「近くから見れば 正常な人はいない」=「みんなちがってみんないい」となります。うふふ。不思議でしょ。
もう。100年も前から、そんなことは、当たり前のことだったのです。
そしてそして、何気ない日常に潜む日本文化~「いただきます」「ごちそうさま」も、もう、ずっと昔から当たり前としてきました。
しかしです。最近のことです。私は、亀の子工房でも、ふあみりわーくでも、「いただきます」「ごちそうさまでした。」が、聞こえてこないのです。何故なのでしょうか。
さぁ。このコロナ禍の中で、今の当たり前は、本当に、当たり前なのか、そして、自分自身が、その当たり前を、ちゃんと、感謝してできているのか、考える時なのではないのかなぁと、思います。