お早うございます。今日は寒い日となりました。

2019/11/28

そうですね。もう、そろそろ、三瓶山も初冠雪が降るころとなりました。三瓶線も、木の葉が舞い散り、枯葉の道になります。でも、三瓶ダムが出来てからは、そんな、枯葉のロードも無くなりましたね。平成7年(1995)に完成していますので、アレアレ。もう、24年になります。私は、枯葉の道を通るのがとても大好きでしたね。樹々も、道をおおって、まるで、樹々のトンネルでしたね。うふふ。とても快適でしたね。うふふ。しかし、こうして、現在は、とても道は便利になり、快適になってきていますが、人間様って、本当に摩訶不思議ですよね。折角、現在とても、快適に暮らしているのに、「まだまだ」なんて、思って暮らしています。私は、この年を重ねたせいでしょうか、「今あることに感謝。」が、まず、「一番だなぁ。」と、思います。何故、そう思うかと言えば、今朝のことです。インターネットで、『「首里城」焼失。』今知りたい首里城の歴史と 沖縄県のデタラメ の記事でした。え。何のこと。そうです。ほんのこの間の、10月31日午前2時40分頃、沖縄県のシンボル首里城正殿で火災発生です。本当に驚きでしたね。日本国民は、みんな、唖然としました。私は、いったいどうしたことかと、その記事を必死で読みました。元々の、首里城は黒瓦で、壁は木目調であったと、沖縄戦で焼失後、戦後に再建された首里城は、今の「朱色一色」の中国様式で建てられた。その当時の沖縄県民は「国の償い」、「偽物の首里城」という批判もあった。とくに離島在住の古老たちは、「首里城の壁の朱色は離島農民の血の色だ」と指摘していた。王国時代、離島農民には本島の3倍という人頭税が課せられていた。(1903年勅令によって廃止) 例年1月2日は、皇居宮殿では新年恒例の一般参賀が行われる。天皇皇后両陛下へ祝意を表そうと12万以上の国民が集う。その同時刻に首里城でも、新年を祝う儀式が挙行される。ここでは、北京遥拝の儀式であった。その北京遥拝は、首里城から北京に向かって、「ワン・ワン・ワンスーイ。」(中国万歳)を唱和すると。このシーンを見た外国の人達は、驚き、完全に巨下の礼をしていることになり、沖縄人は、奴隷民族かと、不審に思ったという。香港から来た若者は、その行動に驚き、「最低」と、言った。私は、この記事を読んで、驚いた。あぁ。沖縄での、本当の歴史を知ることがいかに大事なのか。とかく、今の日本人は、安きに流れてしまい、物の本質を見極めもせずに、成り行き任せの、無責任が横行して久しい。しかしである。おかげさまで、何が本当で、何が偽物なのか、見極めることが、少しはできるようになったと、感じる私がいます。それは、先人たちの、たゆまぬ努力のたまものの歴史を無駄にすることなく、今の現代人が目覚めなければ、成らぬことなのである。となると、もしかして、先人たちから、この度の、首里城の火災は、戒めなのかもしれないと思う私がいます。元々の、首里城の本質に、立ち返る時なのかもしれません。間違いのない、世の中にと、願うばかりです。