お早うございます。聖徳太子の説いた十七条憲法は日本最初の憲法。推古12年(604年)

2021/06/08

なんと、我が国の1416年も昔のことである。そんな、昔々から続いている国は、この地球上でも、この我が国だけです。こうして、現代でも昔語りが出来るのです。とても、凄い事なのです。実は、もっともっと、「日本書紀」の年代をそのままに計算すれば、神武天皇の即位は紀元2600年となります。縄文時代になりますね。では、聖徳太子は、飛鳥時代の出来事になります。飛鳥時代は、物部氏は、神道を守り、蘇我氏は、仏教を取り入れた。この時代に、聖徳太子は、用明天皇の子として誕生したのです。飛鳥時代は、160年の間なのですが、13名の天皇が、暗殺されたり、自害したりと、混乱期だったが、推古天皇は、聖徳太子の叔母で、聖徳太子は摂政の立場で補佐役となった。37年間続いた。この時に、冠位十二階制定。十七条憲法制定。遣隋使派遣のこの大和の国の「基礎」を作った事になった。冠位十二階の制度が施行された。「徳」とく。「仁」じん。「礼」らい。「信」しん。「義」ぎ。「智」ち。の六段階を、それぞれ「大」と「小」に分けて、十二階とした。そして、同じ年に、国の運営を行う、役人たちの守るべき道を説き示した。それが、「憲法十七条憲法」なのです。

憲法十七条憲法

一に曰く、和をもって貴しとし、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ。

二に曰く、篤く三宝に(さんぽう)を敬(うやま)え。

三に曰く、詔(みことのり)を承りては必ず勤め。

四に曰く、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。五に曰く、あじわいのむさぼり〈饗〉を絶ち、たからのほしみ〈欲〉を棄てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(さだ)

めよ。

六に曰く、悪を懲らし善を進むるは、古の良き典(のり)なり。

七に曰く、人おのおの任に有り。掌(つかさど)ること、みだれざるべし。

八に曰く、ぐんけいひゃくりょう、早く朝(まい)りて、おそく退(まか)でよ。

九に曰く、信(まこと)はこれ義(ことわり)の本(もと)なり。事ごとに信(まこと)あるべし。

十に曰く、こころのいかり〈念〉を絶ち、おもえりのいかり〈瞋り〉を棄てて、人の違うことを、怒らざれ。

十一に曰く、功かを明らかに見て、賞罰かならず当てよ。

十二に曰く、国みことも(国司)・国造(くにのみやつこ)・百姓(ひゃくせい)におさめ取る事なかれ。

十三に曰く、もろもろの官(かん)に任ぜる者、同じく職掌を知れ。

十四に曰く、群臣百寮、嫉妬あることなかれ。

十五に曰く、私を背きて公に向くは、これ臣の道なり。

十六に曰く、民を使うに時をもってするは、古の良き典なり。

十七に曰く、それ事は断(さだ)むべからず。かならず衆とともに論(あげつら)うべし。

あぁ。我が国に、こんなにも素晴らしい、道しるべが残っている。真実なのに。我が国は、一体どこを向いて歩こうとしているのか。先人達の遺功を今に蘇らせたいものだ。