2019/11/26
面白いことを、発見です。本当は、もっと以前に知っていたのですよ。実はね。亀の子の理念の所で、「障がい者を世の光とする」メッセンジャーである。人として、生きるメッセージを与えていく場である。の項目があります。
糸賀一雄(大正3年生まれ~昭和43年没)我が国の障がい者福祉の基礎づくりに多大なる業績を残した方です。1961年(昭和36)以前には、「この子ら(に)世の光を」でしたが、糸賀一雄氏は、重度の障害児であっても、人間としての生命の展開を支えることが重要であるとの理念のもとに、「この子らを世の光に」と唱え、人間の新しい価値観の創造を目指した人権尊重の福祉の取り組みを展開した。そのことを、私は学び、亀の子の理念にも、用いたところです。「に」と「を」の助詞ひとつだけの違いはとても重要な事なのです。
「に」である場合は、上から下に向けて、「合いの手を差し伸べましょう」と、情けをかけましょうという温情的になります。そうすると、愛をかけてください、受け身的になり、かけてもらって、当然だ。という憐れみなになってしまう。福祉の世界では、長いこと、この温情精神が続きました。実は、現代社会に於いても、まだまだ、この温情的な福祉が横行しているところもあります。私は、この亀の子を立ち上げる時に、糸賀一雄氏のこの言葉を聴き、そうだ新しい時代は、一人の人間として、障害があろうがなかろうが、一人一人の命の尊厳は、「に」ではないことに気づいたことは、とても、幸せでした。私が5才の時に、母親から言われた、「我が家のあんちゃんは、我が家の宝だ。」が、ここで、ピッタリ繋がったことでした。
だから、「障がい者を世の光とする」としたのです。
「神に祈る」と「神を祈る」~日本人は無宗教と言われることもありますが、私たちの生活には宗教と深く関わっています。私たちは、初詣でご利益を願うことを「神に祈る」と言います。歴史をさかのぼると「神に祈る」というよりも、「神を祈る」という言葉が古いのです。平安時代以降に「に」を受けるように転じたと言われています。平安時代以降、神仏は祈る対象になり、「神に祈る」というようになる。平安時代以前の「古事記」「日本書紀」の時代では、神仏は祈る対象ではなかったということです。「神を祈る」の、助詞「を」には深い意味が込められており、古代の宗教観を検討する上で重要な一文字です。古代の用法で「いのる」とは、神の「名を」祈ることでした。「神にさけび告げる」とあり、「告げる」とは「呼ぶ」こと。「神を呼び起こす」です。神の名前を大きな声で呼び出して、あの世にいるカミを降臨させていた。呼び出されたカミは、神事を行う場所である「庭」、古代では「祭りの庭」に降りたったと信じられたのです。
凄いでしょ。「に」と「を」の違いって、やっぱり凄かったです。令和の世になり、天皇陛下の皇后陛下の数々の公務も、我が国の凄さを、私たちは目のあたりにさせていただいています。